佐々木幹郎●旅に溺れる
何度か通りすぎて、やっと小さな寺院に辿り着き、その前にある茶畑を見た。栄西の茶畑という看板がある。なんということもなかった。 観光コースにあるものはたいてい、現地に行くとなんということもない。しかし、だから行かないというのは、旅としてつまらない。 俗なもののなかにこそ人間がいる。そして、そのまわりには必ず俗を越えたもの、俗を離れたものが発見できる。その発見が旅の面白さなのだ。〔…〕 驚くほど美しい入り江が坂道の下に迫ってきた。砂浜の先端の松林の先に小さな古びた神社があった。まるで絵巻を見ているようだ。人は誰も住んでいない。 入り江の風景は古代から少しも変わっていないのではないか。八百年ほど前の昔にワープしていくような気分になった。その瞬間、えも言われぬ旅の喜びが湧いてきたのだ。 ――「旅に溺れる」 |
●旅に溺れる|佐々木幹郎|岩波書店|ISBN:9784000237888|2010年05月|評=○
<キャッチコピー>
各地の祭りを探訪し、地域文化の襞の深さを味わう国内の旅。中国、チベット、ネパールなどアジアの人々と交歓し、ひとの生と死に思いをはせる海外の旅。
<memo>
詩人の思索的旅のエッセイ集。
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