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2010.08.27

ノンフィクション100選★テレビの青春|今野勉

2009

「テレビの新しいジャンルの開拓は、断定とか固定とか既成とか拒否という『恐怖政治』の破壊、そこからの脱出にあったのだといえる。

『寺内貫太郎一家』や『ウイーク・エンダー』や『欽ちゃんのドンとやってみよう』や『新婚さんいらっしゃい』は、そうした感覚から(無意識にではあったかもしれないが)生み出されたものである。〔…〕」(『毎日新聞』19751213日付夕刊)

 

あれから30年以上経ったが、今なら『ウィーク・エンダー』や『欽ちゃんのドンとやってみよう』に加えて『鶴瓶の家族に乾杯』や『はじめてのおつかい』などを加えるだろう。

それらの番組は、文学や演劇や映画といった旧メディアがまったく発見できなかった人間の真実を記録することに成功しているのだ。

私のテレビの可能性と自由を信じる気持ちは、少しも変わっていないようだ。幸いなことに、私は、いぜんとしてテレビ・ディレクターである。

★テレビの青春|今野勉NTT出版|ISBN9784757150669200903

――「〈テレビの黄金時代〉がいつ始まり、いつごろ終ったかについては、かつて何人かで相談しながら、略年表を作ったことがある。ごく大ざっぱながら、それは「若い季節」「夢であいましょう」「シャボン玉ホリデー」、TBSの警視庁ドラマ「七人の刑事」が始まった1961年、あるいは、これらに「てなもんや三度笠」(朝日放送)などが加わった1962年あたりを始まりとするのが妥当と考えられる」

 と小林信彦は『テレビの黄金時代』2002)で述べている。そして「きびしくいえば71年、甘くみて73年が、〈黄金時代〉の終りだった。なによりも驚くのは、この年が、テレビ放送開始以来20周年に当ることで、あらゆる実験、エンタテインメントは、この20年間で試み終えられた感が深い」。

 『テレビの黄金時代』は小林信彦が番組にかかわった1960年から70年代前半までの日本テレビならびに井原高忠ディレクターのバラエティ番組を中心にした〈黄金時代〉を描いたものである。

 

さて、今野勉『テレビの青春』(2009)は、テレビが200万台を突破し、著者がKRT(ラジオ東京、現在のTBS)に入社した1959年から、1970年同社を退社し日本初の制作プロダクションをつくり、そのテレビマンユニオンを軌道にのせる1975年までを描いたもの。今野勉のTBSの内側からの〈テレビの青春期〉と小林信彦のNTVの外側からの〈テレビの黄金期〉は同じ時代を描きながら、まったく異なるテレビ・クロニクルとなっている。

 

 今野勉『テレビの青春』は、現TBSのテレビ演出部に配属された実相寺昭雄、並木章、高橋一郎、村木良彦、中村寿雄、そして今野勉の同期6人の入社動機がまず語られる。「私以外の5人のうち、ひとりは映画界に行きたかったが不本意にテレビを選び、3人は、あえて映画を見切ってテレビを選び、ひとりは、最初からテレビを選んだ。私は、そのどれにもあてはまらなかった」。そして彼ら6人はADとしての“惨憺たる現場に耐えかねて”「dA」という同人誌を創刊する。同人誌というのがいかにも60年代らしい。

 国民がテレビばかり見ていると“一億総白痴化”になってしまうという流行語があり、評論家の大宅壮一が生み出したとされる。著者はその出所を探し、大宅が19571月東京新聞のコラムで「国民白痴化運動」、また同年2月週刊東京で「一億白痴化運動」という言葉を使っているが、「総」が入っていないので語呂も迫力も違うと言い、同年8月大阪の朝日放送広報誌「放送朝日」に作家の松本清張が「かくて将来、日本人一億が総白痴となりかねない」という文言を発見し、発明者は松本清張だと書いている。テレビ放送が始まってまだ4年である。そういえば“電気紙芝居”というテレビを揶揄する言葉もあった。

1968年は、TBSにとって激動の年であった。

まず番組内容の偏向を理由に萩元晴彦、村木良彦の二人が配置転換される。

つぎに成田空港建設反対集会を取材するためのテレビ報道部のマイクロバスがプラカードを持ち込んだ空港反対同盟の農婦たちを乗せたことが発覚し、政府・自民党から非難、抗議を受け、関係社員を処分する。

さらに「ハノイ・田英夫の証言」が閣議で偏向報道であると問題視され、政府筋の圧力があり、ニュースキャスター田英夫が降板、のちに退職する。

これらに抗議した闘争が「TBS闘争」であり、翌年萩元晴彦・村木良彦・今野勉『お前はただの現在にすぎない――テレビになにが可能か』1969)が生まれる。本書は2008年に文庫版で復刊される。「『テレビのような本』――雑多だがアクチュアリティがあり、形式にとらわれず、即興性に満ち、自由闊達で、あらゆる人の声に耳を傾けつつ、己れのメッセージは明確にし、匿名性に隠れず、といって芸術家のようにエゴを出さず――をつくった、と文庫版あとがきで今野勉が書いている。

「TBS闘争」から40年後の2008年、著者はこう書く。

――40年経って、「TBS闘争」は、私の中で、新たなイメージをまとって現われ始めている。「TBS闘争」は、不当配転、言論の自由、政治的圧力などのキーワードで語られてきた。たしかにそのような闘争ではあったが、萩元・村木のドキュメンタリー、宝官正章の反対同盟副委員長への密着取材、田英夫の北ベトナム報道は、テレビがテレビであろうとする志から生まれたものであり、それゆえの事件ではなかったのか。私は、そう思い始めている。この番組でこういうことを伝えたいという制作者の強い思いから生まれたそれぞれの番組が期せずして、事件となったのだ(本書)。

 本書は帯にあるように「荒野を拓いてきた若者たちの夢と修羅のテレビ史」であり、題名のように「テレビの青春」であり、そして1960年代という「日本の青春」の記録でもある。

 それにしてもテレビは半世紀を越えた現在、ハード面の著しい進化に反比例して、ソフト面の貧困衰弱、劣化は目を覆うばかりである。

(以下は、本書に関係のない雑談)

わたしの友人が、NHK総合の『ものしり一夜づけ』の「おとなのフィッシング」に登場し、“釣り文化の真髄ともいうべき究極の釣り”である「めだか釣り」を披露したことがある。NHKは彼の存在をネット上で見つけてアプローチしてきたらしい。問題はそのあと……。放映後、関西のテレビ局3社から依頼があり、それぞれローカルのワイドショー番組に出演した。友人自身が嘆いたように、3社ともまことに情けないモノマネ企画であった。

大阪のテレビ局は、NHKを含め、吉本興業テレビ、大阪のおばちゃんテレビと化している。かつてわたしは「大阪の3悪女」として、太田房江(金に汚くて消えた元大阪府知事)、上沼恵美子(画面も内容も汚らしい)、辻元清美(50歳にして“転向”かよ)をあげたことがある。いま「大阪の3悪人」といえば、橋下徹(“病気”だと思われる大阪府知事)、やしきたかじん(画面も内容も汚らしい)、辛坊治郎(小物だが、視聴率主義のよみうりテレビ社員)。この3人によって大阪のテレビは汚染され続けている。

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コメント

「大阪の3悪人」、橋下徹、やしきたかじん、辛坊治郎によって大阪のテレビは汚染され続けているのだが、もちろん問われるべきは大阪のテレビ局の“品位”である。

投稿: KOBE@RANDOM | 2010.08.27 07:17

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