劉建輝●魔都上海――日本知識人の「近代」体験
帰国後、身分制度を打破した「奇兵隊」という一種の「国民軍」的な組織を作りだしたことに象徴されるように、
おそらくこの時点から高杉はいよいよ強大な近代西洋の「圧迫」にたいし、いわゆる「国民」全体の力で防衛するしか中国の「覆轍(ふくてつ)」(前人の失敗のあと)を踏まずにすむ道はないと考えはじめたのだろう。
「我が邦人と雖も心を須(もち)ゐざるべきなり。支那の事に非ざる也」との慨嘆からは、まさにそうした認識の小さな「芽」が読み取れる。
この小さな認識の「芽」が大きく育ち、 高杉をはじめとする多くの維新の志士に藩という「ローカリズム」から日本という「ナショナリズム」への意識転換をもたらし、
さらには彼らに近代国家という「ネーションステート」の観念を植えつけるまでにはそう時間はかからなかった。
そしていうまでもなく、その最終的な開花こそが六年後の明治維新にはかならなかった。
|
●魔都上海――日本知識人の「近代」体験|劉建輝|講談社|ISBN:9784062581868|2000年06月/ちくま文庫版2010年08月|評=○
<キャッチコピー>
日本人はなぜこの都に耽溺したのか?「西洋の入り口」にして、国民国家の「破壊装置」。高杉晋作、谷崎潤一郎、村松梢風らの「上海体験」を通し、幕末から昭和に至る近代日本を捉え直す。
<memo>
2010年7月に著者の講義をきいた。著者によれば、毛沢東の文革は、都市・農村、男・女、脳力労働・体力労働の三大差別の是正だったという。「もがく獅子(中国)の200年」話は、興味深かった。もっとも本書は、「カギ括弧」ばかりの文体で、読むのにくたびれた。ふつうカギ括弧は、会話以外には言葉の強調や若干ニュアンスの違う意味に使う場合に使うのだが……。
上掲の高杉晋作の日記の有名なフレーズ……。
実(まこと)に上海の地は支那に属すと雖(いえど)も、英仏の属地と謂ふも又(また)可也。北京は此(ここ)を去ること三百里、必ずや中国之風を存すべく親近をして此地に及ばしめば、嗟(ああ)又慨嘆すべし。困って憶(おも)ふ、呂蒙の宋太宗を正諌、親近を以って遠きに及ばず、あに宜(よろ)ならんや、我が邦人と雖も心を須(もち)ゐざるべきなり。支那の事に非ざる也。
| 固定リンク
コメント