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2010.09.10

ノンフィクション100選★メディアの興亡|杉山隆男

1986

わずか38歳の若さでIBMの日本現地法人のナンバー2、営業担当副社長に昇進した椎名[武雄]は、その挨拶のため日経本社に圓城寺[次郎専務]をたずねている。〔…〕

新聞社はもう情報を印刷しているだけではダメだ。〔…〕

圓城寺はそう言って、たとえば情報を電話線にのせたらどうだろうかと話しかけてきた。そして、その電話線にのせるためにもコンピュータで新聞をつくることがどうしても必要なのだと言うのだった。〔…〕

話がようやくしまいかけた時、圓城寺が、ふと思い出したようにつぶやいた。

「いつの日か、日経は新聞出していたのか、と言われるようになりたいですな」

コンピュータで新聞をつくることが最終目的ではない。

「新聞をつくる」だけの新聞社を、「新聞もつくっている」新聞社につくり替えてしまうこと、それが圓城寺の「コンピュータ活用論」の言わば精髄であった。

★メディアの興亡|杉山隆男|文藝春秋|19866

杉山隆男『メディアの興亡』(1986)は、当ノンフィクション100選のベスト3に入る名作である。鉛の活字による新聞をコンピュータによる新聞づくりへと技術開発を進める日経新聞の物語である。発売時に読んだ記憶は鮮やかだった。2010年に再読しようと文庫版を手に入れた。上下あわせて800ページの大冊であり、読むにも体力がいる。しかし一気に読み終えた。

驚いたことに、わたしの記憶にある日経の単なる技術開発譚ではなかった。縦糸に、日経新聞の圓城寺次郎という卓抜した経営者の“先を読む目”と石田信一技術開発室長とを中心にした“コンピュータ化の苦闘”をあつかい、横糸にスクープ記事を続発するものの、部数低迷、借金膨張にあえぐ毎日新聞の経営をめぐる“社内抗争”をあつかう。そして朝日、読売を含めた1960年代後半から70年代前半の新聞界を描いたものである。

1967年、日経は石田(整理部長)をメインに、CTS(コールド・タイプ・システム。活字を使わない印刷システム)プロジェクトを役員会の承認もなく見切り発車する。のちにチームは「アネックス」と名づけられる。

――(まるで島流しにあったみたいだ……)

仕事の合い間にふと思うその感慨が、石田に、「別館」という言葉を連想させたのである。〔…〕そして、「アネックス」に「別館」のほか「付録」という意味があるように、アネックスの名を冠したプロジェクトもまた、活字一本使わない「光と電子の新聞」が刷りあがるまでの4年あまりの間日経の「嫡子」ではなく、つねに「付録」でありつづけた。(本書)

アネックス・プロジェクトのソフト開発は、アメリカにあるIBM本社の宇宙開発など頭脳部門のFSD(フェディラル・システム・ディビジョン)が担当した。日本独特の新聞づくりの方法を、「WHY,HHY」を連発するアメリカ人技術者にどう理解してもらうか。スペック(仕様書)づくりは難攻する。本書の白眉である。FSD首脳の一人は「この開発は同じくわが社が手がけた米航空宇宙局のアポロ計画にも匹敵する難しさだった」と述懐する。

1968年、圓城寺次郎社長就任時の挨拶……。

「やがてコンピュータ時代が本格的な革命をもたらす時、新聞社そのものの存在が否定されるといった情勢すら来ないとは限らないのです。この難局に直面して、私は、動には動をもってあたりたいと思います。石橋を叩いても渡らないような慎重主義は私の主義ではありません。むしろ波風の立つ経営を私はやっていきたい。〔…〕だから、どうかその波風を乗り切っていただきたい」(本書)

1973年、コンピュータでつくる世界ではじめての日刊紙「日経産業新聞」は創刊された。「アネックス最大の功労者である石田さんはその労に報いられてしかるべきだ」。スタッフたちは人事異動のたびに期待したが、空振りに終り、取締役はおろか役員待遇の肩書すら与えられない。「トップたちは石田さんの功績を認めたがらないのではないか」。そして著者は書く。「成功の近くにいた人ほど遠ざけられていく……」。

他方、毎日新聞は苦悩する。

大森実は外信部長の座にありながらニュースの現場に飛び、国際事件記者としての名をはせる。そのベトナム戦争報道で、エドウィン・ライシャワー大使が大森を名指しで非難する。1965年のことである。

「毎日新聞という一つの企業の中でサラリーマンとして生きることと、マスコミ界のスターでありつづけることとは、しょせん水と油、早晩ぶつかりあう性質のものだった。大森は引き裂かれ、やがて毎日を去って行く」(本書)

 書いて書いて去った記者もいれば、書かなかったことで去った記者もいる。1972年、沖縄返還交渉にまつわる外交機密文書漏洩問題で政治部の西山太吉記者が逮捕される。

――「問題の機密電文は毎日新聞の一面トップにスクープとして報じられたわけではなかった。こともあろうに衆議院予算委員会という政争の場で、野党第一党の社会党代議士の口から明らかにされたのである。漏れた機密が毎日の紙面に登場しないで政党に流れたところからすべての歯車が狂い出す」(本書)

外務省事務官と「情を通じ」の起訴状全文が掲載された紙面に、毎日は「本社見解とおわび」を掲載する。

――「密約の存在を紙面を通じて国民に知らせるという、新聞社がほんらい果たすべき義務をまっとうできなかったことについて詫びるのではなく、毎日は、40歳の分別もある大人の『私行』についてわざわざ頭を下げた」と元読売新聞記者である著者は鋭く書く。朝日、読売が50万部近い伸びを示すなか、毎日はこの事件の後遺症で部数を伸ばせないまま、オイル・ショックに突入する。

毎日の紙面は、前総理の逮捕のロッキード事件では、「ロッキードの毎日」の異名をとるなど、相変わらずスクープを連発する。しかし倒産寸前の会社は、陰謀と暗闘の社内抗争、派閥人事、借金経営を繰り返す。新聞は広告収入ですでにテレビに追い抜かれ、企業体としての経営に徹することが求められた。「昭和40年代は、メディアの『覇者』だった新聞が『覇者』たりえなくなった時代だった」と著者は結ぶ。

 そして――、

20103月、日経は「日本経済新聞電子版」を創刊する。有料購読はネットのみで月4000円、本紙購読者は月ぎめ購読料にプラス1000円。紙の新聞がなくなる日が迫ってきた。

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