ノンフィクション100選★トップ屋魂|大下英治
「同じ記者を13年間やるにしても、『週刊文春』の記者でよかった、とつくづく思います。 『週刊新潮』の記者を13年間続けていたら、評論家にはなれたかもしれませんが、作家にはなれなかったんじゃないかと思います。 『週刊新潮』は、死体解剖みたいなところがある。〔…〕相手の『痛い』とか何とかいう反応は関係なくて、好きなように『自分の切れ味を見ろ』と言わんばかりに執刀するような感じですね。 その点、『週刊文春』は、どうしても『週刊新潮』のようには思いきって切れない。〔…〕大宅壮一さんが言ったのか、『盗人にも三分の利で、やられる側にも、必ずそいつの言い分があるんだから、それだけは聞けよ』と。わたしは、書くとき、自分の頭の中に、必ずその言葉がありましたね」〔…〕 小説は、人間へのぬくもり、愛情がなくては書けない。『週刊文春』での13年間で、ぬくもりを失うことはなかった。 ★トップ屋魂 ――週刊誌スクープはこうして生まれる!|大下英治|ベストセラーズ|ISBN:9784584131299|2009年02月 |
大下英治『トップ屋魂 ――週刊誌スクープはこうして生まれる!』(2009)は、梶山季之、岩川隆を先輩に持ち、両氏と同様に週刊誌のトップ屋からノンフィクション・ライター、小説家へ転身した大下英治の自伝であり、スクープの回顧録である。
大下英治の本にはずいぶん楽しませてもらった。とりわけ『自民党の気になる面々』(1987)、『小説田中軍団』(1987)あたりからの“派閥クロニクル”、“政局年報”のたぐいは、通勤電車内での格好の読み物だった。戸川猪佐武『小説吉田学校』の流れをくむ実録ものである。ちなみにこの“実録大河小説”ともいうべき作品の刊行が始まった1987年は中曽根康弘首相の時代。2010年の管直人首相まで23年間で17人の首相である。今も徳間文庫などで書き継がれている。300冊を越える著書のうち4割近くはこの政治ものという。
トップ屋大下英治の最大のスクープは三越事件だろう。発端は1971年週刊文春時代、某経済誌の編集長から「三越の労使の話し合いの席上、ある血の気の多い組合員が、岡田茂専務の愛人問題を激しく追及した。愛人というのは、とかくの噂のあったアクセサリーデザイナーの竹久みちだ」ときく。岡田茂といえば、宣伝畑一筋に出世した日本橋本店の本店長。こうして「岡田専務をめぐるとかくの噂」(週刊文春1971年8月)、「竹久みち邸の深夜の密室パーティ」(同12月)。「女帝・竹久みちの野望と金脈」(文藝春秋1972年9月号)が書かれた。1972年、岡田は社長就任。そして1982年9月取締役会で16対0で解任。このとき岡田社長の発した「なぜだ!」が流行語に。同年10月、竹久みち脱税で、岡田前社長特別背任で、逮捕、1985年週刊新潮に「小説三越・十三人のユダ」連載開始。
大下英治は『ドキュメント三越――女帝・竹久みちの野望と金脈』(1983。のち『ドキュメント三越の女帝』と改題)、『十三人のユダ――三越・男たちの野望と崩壊』(1987)を刊行する。
――連載のタイトルでは「小説三越」と銘打ちながら、登場人物をあえて仮名にしたのは、描いたディテールが、90パーセント以上の事実に基づいているとはいえ、モデルの人物の心理に立ち入ったことと、彼らの名誉を考慮したからである。(本書)
1970年代の岡田社長時代に取材をしたとき、岡田体制打倒のため、危険を冒してマル秘の経理資料など内部資料を見せてくれた三越の中堅幹部たちは、週刊新潮連載時の取材にはまったく応じなかったという。
――彼らは、岡田体制を倒すために危険を冒したが、岡田体制が崩壊したいま、ふたたび三越のかつての腐敗を徴に入り細に入り暴かれ暴かれては、岡田体制の残った膿を出すだけでなく、再生三越そのもののブランドイメージが汚れる。彼らは、そう考えたに違いない。(本書)
この一節を読みながら思いだしたが、この三越事件をわたしはスキャンダルとしてではなく、中間管理職のビジネスマン小説として読んでいたのだ。そういえばこの頃、高杉良のビジネスものが好きだった(高杉には三越事件をモデルにした『王国の崩壊』(1984)がある)。
本書は、昭和史を彩る美空ひばり、力道山、三島由紀夫、田中角栄、児玉誉士夫などの取材の舞台裏を明かす400ページに及ぶ大冊である。
大下英治がドキュメントを“小説”と銘打つのは、かつて梶山季之が「ノンフィクションでは政財界のスキャンダルを書いても、証拠がないと、いま一歩のところで突っ込めなくなる。フィクションなら誰でも知らない密室内の状況が自由に書ける」と語ったことに倣ったものだろう。
とはいうものの大下軍団、大下工房ともいうべき複数の取材者たちが集めたデータをアンカーとして大下がまとめ書くという週刊誌記事と同じ方式の作品は、作家・大下英治として十分に評価されないきらいがある。
――わたしはあらゆるジャンルの人間を描いたが、テーマはひとつと言えた。それは、はみ出すエネルギーを描いたことだ。はみ出すエネルギーは、はみ出さざるを得なかったエネルギーとも言える。〔…〕わたしは、樹にたとえれば、地下を這っている根に興味を抱いた。表にあらわれた花が華やかであればあるほど、地下に張った根は深い。その地下に張った秘められたコンプレックスの哀しみを描きたかった。(本書)
あえてベスト3をあげるとすれば、本書を別にして、『十三人のユダ――三越・男たちの野望と崩壊』(1987)、第1作でタブーに挑戦した『小説電通』(1981)、 そしてわたしがおとぎ話を聞くように楽しく読んだ『映画三国志――小説東映』(1990)であろうか。
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