萩原朔美●劇的な人生こそ真実―― 私が逢った昭和の異才たち
* 考えてみると、母親は付き合った人も、憧れの人も、全員年下の男である。 私は年齢に反比例してどんどん派手に若くなる服装と、年下好みは一緒のことだと思っていた。 ことの真相は、私が母親の年齢になってやっと分かった。 キンキラの服は、他人の視線が気にならないから着るのではない。自分の歳が心とずれている結果なのだ。意識して派手にしているのではないのだ。 私はこれを「年齢同一性障害」と名付けている。〔…〕 実は私も今「年齢同一性障害」の最盛期だ。心が未だ40代でとまっている。 心は一体いつ歳を取るのだろうか。いつから心の老化は始まるのだろうか。心の加齢は自分ではどうすることも出来ない。 母親もこれだったんだと、やっと遅まきながら思い至ったのである。母親は年下好みでもなんでもない。同世代のように思えてしまっていたのだ。「年齢同一性障害」者は、年齢の開きなど眼中にないのである。 ――「母萩原葉子再婚話」 |
●劇的な人生こそ真実―― 私が逢った昭和の異才たち|萩原朔美|新潮社|ISBN:9784103168126|2010年06月|評=○
<キャッチコピー>
奇書『家畜人ヤプー』の沼正三、「暗黒舞踏」の土方巽、「ドッキリチャンネル」の森茉莉、「天井桟敷」の寺山修司…。あの時代のホンモノの才人たちが鮮やかに蘇る。
<memo>
「パルコを作った益田通二の更地」において、一世を風靡した「ビックリハウス」の出自と終焉が語られている。
萩原朔美◆死んだら何を書いてもいいわ――母・萩原葉子との186日
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