司馬遼太郎●竜馬がゆく(六)
* あとは、感情の処理だけである。 桂の感情は果然硬化し、席をはらって帰国しようとした。薩摩側も、なお藩の体面と威厳のために黙している。 この段階で竜馬は西郷に、 「長州が可哀そうではないか」 と叫ぶようにいった。当夜の竜馬の発言は、ほとんどこのひとことしかない。〔…〕 歴史は回転し、時勢はこの夜を境に討幕段階に入った。一介の土佐浪人から出たこのひとことのふしぎさを書こうとして、筆者は三千枚ちかくの枚数をついやしてきたように思われる。 夢の成るならぬは、それを言う人間による、ということを、この若者によって筆者は考えようとした。 竜馬の沈黙は、西郷によって破られた。 西郷はにわかに膝をただし、 「君の申されるとおりであった」 |
●竜馬がゆく(六)|司馬遼太郎|文藝春秋|1963~66/文庫版1975|評=◎おすすめ
<キャッチコピー>
薩摩と長州。互いに憎悪しあっているこの両藩が手を組むとは誰も考えなかった。奇蹟を、一人の浪人が現出した。竜馬の決死の奔走によって、幕府の厳重な監視下にある京で、密かに薩長の軍事同盟は成った。維新への道はこの時、大きく未来に開かれたのである。
<memo>
この若者は、物おじもせずひとの家の客間に入りこむ名人といってよかった。相手もまた、この若者に魅かれた。ひかれて、なんとかこの若者を育てたいと思い、知っているかぎりのことを話そうという衝動にかられた。
幕臣の勝海舟がそうだし、大久保一翁そうだった。熊本にすむけたはずれた合理主義的な政治思想家の横井小楠もそうだったし、越前福井藩の大殿様の松平春嶽もそうだった。かれらは、
「竜馬愛すべし」
といって、さまざまなことを教えた。竜馬には、それをさせる独特の愛嬌があった。どんな無口な男でも、坂本竜馬という訪客の前では情熱的な雄弁家になる、といわれていた。(本書)
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