司馬遼太郎●竜馬がゆく(八)
*** この長い物語も、おわろうとしている。人は死ぬ。 竜馬も死ななければならない。その死の原因がなんであったかは、この小説の主題はなんのかかわりもない。 筆者はこの小説を構想するにあたって、事をなす人間の条件というもの考えたかった。 それを坂本竜馬という、田舎うまれの、地位も学間もなくただ一片の志のみをもっていた若者にもとめた。 主題は、いま尽きた。 その死をくわしく語ることは、もはや主題のそとである。 |
●竜馬がゆく(八)|司馬遼太郎|文藝春秋|1963~66/文庫版1975|評=◎おすすめ
<キャッチコピー>
慶応3年10月13日、二条城で、15代将軍徳川慶喜は大政を奉還すると表明した。ここに幕府の300年近い政権は幕を閉じた。――時勢はこの後、坂を転げるように維新にたどりつく。しかし竜馬はそれを見とどけることもなく、歴史の扉を未来へ押しあけたまま、流星のように…。
<memo>
雨戸のむこうで、虫が鳴きはじめた。
「おや、京でも草雲雀が鳴くのか」
竜馬は、枕のうえで耳を澄ました。草雲雀は、鳥ではない。草の虫であった。夜があけ染めるとき、暁闇のなかで、鈴を鳴らすような声で鳴く。竜馬の幼いころ、乳母のおやべさんが、
「草雲雀は小柄ながらも、夜を明けさせるのでございますよ、坊ちゃん」
と話してくれた。その虫であった。
(おれも、草雲雀だな)
竜馬は、ねむった。(本書)
本書が書かれた当時、官尊民卑の日本史では竜馬はほぼ無名に近い存在であった。竜馬のキャラクターは司馬遼太郎によってつくられ、「薩長連合」「大政奉還」での役割が掘り起こされ、日本史に正当に名を残すことになった、と思われる。本書は平尾道雄『坂本龍馬 海援隊始末』に多く依存している。
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