司馬遼太郎●竜馬がゆく(五)
* 「軍艦ひとつあやつれない人間が、攘夷々々と駈けまわったところで、どうなるもんでもないよ」 勝の議論はついそこにゆく。〔…〕 「攘夷のための軍艦が動かせ、大砲が撃てるというのは、竜さんえ、あんたのほかたれもいないよ」 「これは恐縮ですな」 「いやお前さんをほめているんじゃねえ。お前さんを仕込んだおれ自身を自画自讃しているんだよ。頼むよ。竜さん」 「なにをです」 「何をじゃねえ、国のことをさ。〔…〕 おれをありがてえと思うなら、おれが付けてやったその背中の翼で力いっぱい天空を飛翔しな」 |
●竜馬がゆく(五)|司馬遼太郎|文藝春秋|1963~66/文庫版1975|評=◎おすすめ
<キャッチコピー>
池田屋ノ変、蛤御門ノ変と血なまぐさい事件が続く。しかし幕府の屋台骨はゆるんだようにも見えない。まだ時期が早すぎるのだ…次々死んでゆく同志を想い、竜馬は暗涙にむせんだ。心血を注いだ神戸海軍塾が幕府の手で解散させられてしまい、かれの壮大な計画も無に帰してしまった。
<memo>
勝の明敏さは、神戸軍艦操練所についても「移り気な幕閣のことだ、数年を出ずして廃止を命じてくるだろう」と最初から予言し、
「しかしここが日本海軍の発祥の地になる。後世に残すために、大石碑を建てておこう」
といって、早手まわしに、創立早々に記念碑までつくっていた。
「石二勒(キザ)ミ、モッテ永世ニ胎(ノコ)ス」
という文章である。最初は竜馬らがいた塾の庭に据えられていたが、のち移され、いまは神戸港を一望で見おろす諏訪山公園のなかに建てられている。
竜馬にとっては、青春の碑といっていい。(本書)
| 固定リンク
コメント