村串栄一●新・検察秘録 ――誰も書けなかった政界捜査の舞台裏
* 確かにいずれの事故[明石歩道橋事故、福知山線脱線事故]も多数の一般市民が亡くなった惨事で、遺族らの被害感情の強さは理解できる。 不起訴を繰り返す検察を「冷たい存在」と評し、「裁判の場で真相を明かしてほしい」と期待を寄せる気持ちも痛いほど分かる。 検察は不起訴にした場合、その理由を十分に説明する姿勢に欠けていた。「嫌疑なし」「嫌疑不十分」「起訴猶予」と主文を伝えるだけである。〔…〕 しかし、「遺族が納得しない」「再発防止を促す」「法廷に預ける」という論法と、裁判員という素人集団の法廷参加など、「民意」全盛の刑事司法は、「法の枠」を超えたところの論議に流されかねない危うさを秘めている。風評、うわさ、誘導、買収、偏見、感情圧力に左右されないとも限らない。〔…〕 刑事司法から「精密」の用語が消え、証拠に基づく真相解明努力は二の次の「感情司法」「ラフ・ジャスティス」の到来を予感させる。 |
●新・検察秘録 ――誰も書けなかった政界捜査の舞台裏|村串栄一|光文社|ISBN:9784334976125|2010年06月|評=○
<キャッチコピー> 特捜が小沢一郎を「永久ターゲット」に据え、執拗に追い続けてきた経緯、背景。可視化、検事総長人事などで検察組織への主導権を握ろうとする民主党政権と、組織崩壊の危機意識を抱く検察との最終全面戦争の舞台裏。 <memo> 本書は「秘録」ではない。小沢一郎に関連する政治資金規正法違反事件の顛末であり、特捜部60年の“制度疲労”を問う書である。そして上掲のような司法制度改革に伴う問題点を指摘している。もっとも“素人集団”検察審査会は“国策捜査”チェックの場として機能することが必要だ。
| 固定リンク
コメント