佐野真一●畸人巡礼怪人礼讃 ――新忘れられた日本人2
** 沖縄で山中貞則と最も親しかった経済人は、オリオンビール創業者の具志堅宗精である。〔…〕 オリオンビールが沖縄を代表するブランドとなった背景には、山中貞則の政治力が働いている。沖縄が本土復帰したとき、本土に比べ酒税が20パーセント減免される優遇措置が、オリオンビールはじめ沖縄の酒造業界に適用された。この復帰特措法を実現させたのが、“ミスター税調”の異名をとった山中だった。〔…〕 具志堅の孫の茂は、具志堅が昭和54年に83歳で死んだときこんなことがあったという。〔…〕「実際の葬儀では山中先生が最後を締めくくりました。じいさんは山中先生が沖縄に来ると、いつも運転手付きのキャデラックを差し向けていました。山中先生は弔辞を読まずに、『具志堅宗精、万歳!』とだけ言って、祭壇の前で万歳三唱をした(笑)」 |
●畸人巡礼怪人礼讃 ――新忘れられた日本人2|佐野真一|毎日新聞社|ISBN:9784620319940|2010年07月|評=○
<キャッチコピー>
ただ生きることにひたむきだったあのころの日本人。強烈な個性で著者の作品を彩る魅力的な脇役たちを主役にした50の物語。
<memo>
本土復帰とともに初代沖縄開発庁長官となった山中は、米軍のヘリコプターで沖縄の離島という離島をすべて回った。いま世界遺産となっている首里城の復元工事の推進役となったのも山中だった。山中が沖縄のためにつくった特例法は683本にものぼった。〔…〕確かに山中は沖縄にとって余人に代え難い大恩人だった。だがその反面、現在の本土依存の補助金づけ体質にしてしまったという意味では、山中は沖縄の自助努力を殺いだA級戦犯でもあったといえる。(本書)
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