由井りょう子●黄色い虫 ――船山馨と妻・春子の生涯
* 同時にもはや自分が誰からも相手にされない人間であることを思い知らされ、言いようのない孤立感と惨めさと、薬物が切れた苦しみに襲われ、その場を去るしかなかった。 そして、ヒロポンをやめるしかない、と決心する。作家としての理性がかすかに残っていたのである。 1951(昭和26)年の創作ノートに、馨は次のように記している。 《発狂を待つばかりであったが、2月22日の夜、意を決して、一切覚醒剤から離れた》〔…〕 春子の姪、万里子によると、馨は自分の中毒症状に悩んだこともあるが、春子の異常を目の当たりにして、これではいけない、と悟ったという。 やせ細った腰に大工道具やガラス切りを帯びたたて、屋根に登っていき、屋根を叩いたり、瓦をはがしている春子の異常な姿を見て、馨のなかに残っていたわずかな理性は、目を覚まさなければと思ったのだ。 |
●黄色い虫 ――船山馨と妻・春子の生涯|由井りょう子|小学館|ISBN:9784093881234|2010年07月|評=○
<キャッチコピー>
「石狩平野」などで知られる昭和の作家・船山馨と妻・春子。夫婦ともにヒロポンに溺れた地獄のような日々から、晩年の作家としての復活までを、春子の日記と縁の人々の証言をもとに描いた本格ノンフィクション。
<memo>
黄色い虫とは、ヒロポン中毒の幻覚。昭和24年(1949年)東京日日新聞の記事。――“ヒロポンの値段は注射10本入り(公定価格)81円50銭であるが品不足で100円以上でヤミに流れている。〔…〕薬局にハンコをもっていけば誰でも買えること になっている。”
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