殿岡昭郎●尖閣諸島灯台物語
** 「……沖縄返還交渉の状況報告に参内した山中(貞則・総務)長官に、陛下(昭和天皇)が植物にも堪能な分類学者として、極めて含蓄のある質問をされた。
それは『尖閣諸島には蘇鉄が生えているか』という下問だった。〔…〕 返還前で詳細な状況は把握しておらず、山中長官は、 『それにつきましては、まだ確かめておりません』と答えた。
天皇の眉がかすかに曇り、ひとりごとように、 『蘇鉄は沖縄にはあるが、台湾にはない』 といわれたという。〔…〕
『それは君、後から思うと大変なご下問だったんだなあ。〔…〕 陛下は陛下で、台湾や北京の領土権の主張をちゃんと聞き及び、憂慮されていたんだよ。そして尖関の領土権の歴史的な推移を、ちゃんと植物学者として考えられて聞かれた、という訳だ。〔…〕
人間のいき来の頻度として、政治を超えた歴史的な人間の事実を、陛下は植物の分布の上から考えておられたのだ。それをひとりごとのようにもらされた。名君だねぇ、まさに』 山中氏はいった。
|
●尖閣諸島灯台物語|殿岡昭郎|高木書房|ISBN:9784884710835|2010年05月|評=○
<キャッチコピー>
日本国家に委譲され、船舶の安全に寄与している尖閣諸島灯台。そこに至るまでの緊迫した様子を描く。
<memo>
本書の上掲部分は石原慎太郎が『新潮』昭和59(1984)年11月号に書いたものの孫引きである。後日談として「有志の議員が、政治外の同憂の士と図り、有志の学生たちと尖閣諸島の魚釣島に一週間交替で泊まりこみ、手製の灯台を建設したことがある。その第一次派遣隊が撮ってきた写真に、背は低くとも蜜蜜に繁ったジャングルに似た魚釣島の山肌に、一目で知れる数多くの蘇鉄が写っていた」云々とある。
本書は、暴力団住吉会系の右翼団体といわれている日本青年社、その初代・小林楠扶が建設し、第三代・松尾和也が内閣府に譲渡した尖閣灯台26年の歴史である。あわせて、1978年中国武装漁船群が尖閣周辺海域で領海侵犯し居座った事件から、2004年中国人7 人が魚釣島に上陸、全員逮捕後国外退去処分をした事件までを、主として当時の新聞報道によって政府の“弱腰外交”の繰り返しを記したもの。2010年中国漁船船長逮捕事件も中国政府の責め方は酷似している。
西牟田靖●誰も国境を知らない――揺れ動いた「日本のかたち」をたどる旅
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント