多田富雄●残夢整理――昭和の青春
** 入院してからも半年余り、私は彼の痛みとの戦いに毎日付き合った。仕事は忙しかったが、一日も欠かさず築地まで通った。 そして俊作の死は、一日一日密室の中で成熟していった。それが私たちにとって、かけがえのない濃密な時間であった。〔…〕 実際彼の死は、私の生きた半身をちぎり去った。後年、突然の脳梗塞で、本当に右半身の自由を失った今、若いころ失った半身がいかにかけがえのないものだったかを、思い知る。 いつかは開いてやるよ、と決心していた俊作の遺作展も、もう開けなくなった。 誰がなんと言おうと、私は彼を天才だと思っている。〔…〕 残夢はひっくり返すと無残である。私はこれから何年、残夢をひっくり返しながら生きなければならないのだろう。そうすることが、彼と語った永遠ではないとは誰にも言えまい。 |
●残夢整理――昭和の青春|多田富雄|新潮社|ISBN:9784104161041|2010年06月|評=◎おすすめ
<キャッチコピー>
思い出すことのなんという切実さよ!残夢のように、事あるごとに記憶に蘇る死者たち。私は彼らを追いかけ、同じ空気を吸い、語り合った。─脳梗塞と癌と闘い、逝った著者の青春の記録、鎮魂の書。
<memo>
この短編を書いている最後の段階で、私は癌の転移による病的鎖骨骨折で、唯一動かすことができた左手がついに使えなくなった。鎖骨を折ったことは、筆を折ることだった。書くことはもうできない。まるで終止符を打つようにやってきた執筆停止命令に、もううろたえることもなかった。いまは静かに彼らの時間の訪れを待てばいい。昭和を思い出したことは、消えてゆく自分の時間を思い出すことでもあった。(あとがき)
著者は2010年4月、死去。友や師への熱い思いのほとばしる遺作である。
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