斎藤環●博士の奇妙な成熟――サブカルチャーと社会精神病理
* 精神科医のT・S・サズは、次のように表現する。「『大人』というのは、子供時代と老年期との間で、限りなく短縮し続ける期間だ。なぜなら近代社会とは、この期間を最小にすることを目的としているのだから」。 もっとも、これに近いことを私自身も、よりシンプルな命題として語っている。すなわち「個人の成熟度は、社会の成熟度に反比例する」と。 もちろん、成熟困難の背景にあるのは、必ずしも労働問題のみではない。〔…〕経済的豊かさが「就労」の必然性や「家族」の生存上の必要性を緩和し、 地縁や血縁の希薄化は個人が何かを犠牲にしてまで「関係」に接続する意義を失わせる。 その結果、共同体意識で支えられていたさまざまな価値観がゆらいでしまう。 「殺人の禁忌」「就労の義務」「大人と子どもの区別」など、従来は自明であるがゆえに疑いの余地もなかった諸価値が懐疑にさらされ、根拠の曖味なものから順に廃れていく。 ――「サブカルチャーとともに大人になること」 |
●博士の奇妙な成熟――サブカルチャーと社会精神病理|斎藤環|日本評論社|ISBN:9784535562868|2010年05月|評=○
<キャッチコピー>
思春期の問題は入口がいくつもあって、出口がひとつしかない迷路だ。「ニート」から「うつ病」まで精神医学の難点を成熟とサブカルチャーを軸に解きほぐす。
<memo>
上掲は『機動戦士ガンダム』を題材にサブカルチャーについて書かれたもののイントロ部分。気になったので引いておく。「個人の成熟度は、社会の成熟度に反比例する」。違うと思うが。
| 固定リンク
コメント