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2010.11.26

永江朗●セゾン文化は何を夢みた

20101126

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セゾン文化とは何だったのか。私が立てた仮説の多くは否定された。

堤清二/辻井喬は文化事業をやるために西武流通グループ/セゾングループをつくった、という仮説は誤りだった。

大衆を啓蒙するために文化事業を行なった、という仮説も間違っていた。〔…〕セゾン文化は文化革命を目論んだものだ、という仮説も間違っていた。

では何だったのか。壮大なる同床異夢、と言うことはできないか。

堤/辻井と彼のまわりに集まってきた、スタッフやクリエイター、芸術家、批評家、観衆、そして消費者、すべてが、

《セゾン文化》の名のもとで、少しずつ違った夢を見ていたのではないか。

そして、誰もが自分こそがほんとうのセゾン文化を知っている、と思っている。私も例外ではない。

●セゾン文化は何を夢みた|永江朗|朝日新聞出版|ISBN9784022505385201009月|評=◎おすすめ

<キャッチコピー>

堤清二(辻井喬)という特異な経営者を持ち、バブル期に日本企業としては異例の規模で広告や文化事業に資金を投入したセゾングループ。堤清二会長以下、当時の関係者へのインタビューを基に「セゾン文化」が与えた影響を改めて問い直す。二十代の日々をセゾングループの一員として過ごした著者による“あの時代”のカルチャークロニクル。私たちは、何を得て、何を失ったのか。

<memo>

1996年スイスへ行ったとき、ベルン美術館でパウル・クレーの作品群を満喫したが、そのクレーを日本で最初に紹介したのは、堤清二/西武百貨店池袋店だという話が出てくる。「コンテンポラリー・アートには興味があり、クレーの展覧会をやりたかった。ベルンの美術館にクレーの展覧会をやりたいから貸してください、と言いました。すると、ものすごく怒られました。うちの美術館には百貨店などという下等なところに貸し出せるものは一点もありません、と」。交渉に3年かかり、1961年に実現する。現在、ベルン美術館のクレーの作品は、2005年に開設されたレンゾ・ピアノの設計によるパウル・クレー・センター(ツェントゥルム・パウル・クレー)に移された。他方、池袋の西武百貨店催事場→西武美術館→セゾン美術館は、1999年に閉館。

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