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2010.11.01

千葉伸夫●評伝山中貞雄――若き映画監督の肖像

20101101

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八月二十五日、五十銭均一の日比谷映画劇場で、ワーナー映画「沙漠の朝」(エロール・フリン、ケイ・フランシス主演)と、「日支事変特報 北平籠城恐怖の十日間」と同時に「人情紙風船」は封切られた。〔…〕

夕方、P・C・L揖影所に電報が届いた。〔…〕助監督仙波重利は〔…〕「人情紙風船」の試写を了えて、芝生に横になっていた山中のもとへ、この電報を届けた。

たそがれ近い芝生の上にチェリーの大缶を片手にぶらさげ、会社の人々に取り囲まれてよもやま話に喜々談笑して居られた山中さんの処へ

「電報ですよ。」

と云って給仕から受け取った電報を僕はもたらしました。それが召集令であらうとは神ならぬ身の知る由もないことでした。

「とうとう来よったナ。よしツ、酒と云ふものがどんな味がするか、今夜は飲んで飲んで飲み明かすぞ。」

山中さんはそう云ひ乍らかたへの人の肩を叩いて立上った。(「追悼号」)

●評伝山中貞雄――若き映画監督の肖像|千葉伸夫|平凡社|ISBN9784582763072199910月|評=○

<キャッチコピー>

戦場に散った天才監督。享年29歳、現存フィルムわずか3本。しかし日本映画史に残した遺産は、とてつもなく大きい。

<memo>

BSで「人情紙風船」を観た。「材を深川の陋巷の一角に採って描く、江戸末期の疲れ切った庶民の世相!現代人の肺腑を突く!山中貞雄の傑作」(当時の広告)であった。

京都市西陣近くの山中貞雄の菩提寺大雄寺の「山中貞雄之碑」は山中が敬愛した先輩小津安二郎の揮毫になる碑文。その一節。

その匠意の逞しさ、格致の美しさ、洵に本邦芸能文化史上の亀鑑として朽ちざるべし。昭和十二年春東宝東京撮影所に迎へられ、気を負ふて『人情紙風船』の作を成すや幾千もなくして日支事変勃発し、名誉ある公務に応じ陸軍歩兵伍長として出征、支那各地に転戦せること一歳余り遂に徐州の野に陣没、曹長に進級す、享年三十歳、昭和十三年九月十七日なり。君生得一途映画道に精通し、映画の中に師弟知友を視、愛すべき特偉の風格掬すべき純樸の性情、傾けて之れ尽く映画に親昵したり。慈に友人有志相寄りてその至情に酬ひ、興亜聖業の礎石たる君が勲功を顕彰し、その菩提を弔ひ訪る者に然く語るなり。皇紀二千六百年建立

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