赤塚りえ子●バカボンのパパよりバカなパパ ――赤塚不二夫とレレレな家族
* その後、眞知子さんの机の中から、「遺言書」と表に書かれた一通の封筒が出てきた。 「私、赤塚眞知子が赤塚不二夫より先に死んだら以下のようにお願いします」として、平成16年(2004年)3月6日付けで、次のようなことが記されていた。 もし自分がパパより先に死んだ場合、 パパを今の病院の今の病室にずっと入れていてあげてほしい。 自分の財産は全部りえ子に託すので、パパのお金が足りなくなったら、 それをパパの入院費にあててほしい。〔…〕 そして、文末は、 私は何か、豊臣秀吉が秀頼のことを五奉行にくれぐれも頼むという心境です。 と結ばれていた。 眞知子さんは“秀頼”の成長を見届けることなく、本当に逝ってしまった。 「眞知子さん、大丈夫だよ。わたしがいるから」 わたしは自分の頼りなさを認めながらも、眞知子さんの遺志を心に刻んだ。 |
●バカボンのパパよりバカなパパ ――赤塚不二夫とレレレな家族|赤塚りえ子|徳間書店|ISBN:9784198629670|2010年06月|評=△
<キャッチコピー>
うちの家族は「バ~カ」が最高のほめ言葉!天才ギャグ漫画家・赤塚不二夫は、その本人もまさにギャグの世界を生きていた。ひとり娘が初めて明かすエピソードを中心に綴られる赤塚不二夫とレレレな家族。家族写真多数収録。
<memo>
上掲の眞知子夫人は赤塚不二夫の再婚の妻。2006年7月、赤塚を看病してきたが56歳で急逝。また最初の妻で、著者りえ子の母、登茂子夫人は、赤塚死去の3日前の7月30日に赤塚と同じ病院で死去。
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