中川一徳●メディアの支配者
* 宏明がグループ入りして間もなく、信隆はかつてレーガン単独会見を実現させた側近にこう指示した。 「宏明のお披露目にしたい。レーガンを日本に呼べるか」〔…〕 レーガンサイドから“承諾”のサインが送られたのは、89年1月のことだ。12日にレーガンがホワイトハウスで開く現職大統領として最後の夕食会に、日本人では唯一、鹿内宏明夫妻を招くというのである。 その日、レーガンはにこやかに宏明を迎え、自ら先導してホワイトハウスを案内して回った。しかも、晩餐会で宏明夫妻に用意された席は、レーガンのテーブルだった。退任間際の大統領とはいえ、破格の厚遇ではある。 半年前まで一銀行員に過ぎなかった43歳の男が駆け上がった階段は、前代未聞の高みへと続いているかのようだった。 3月、グループ内には、新聞、テレビ、ラジオなど各社を横断する大規模な「招聘実行委員会」が設けられた。 |
●メディアの支配者(上)(下)|中川一徳|講談社|2005年06月ISBN:9784062124522:ISBN:9784062130035/文庫版2009年06月|評=◎おすすめ
<キャッチコピー>
メディアの帝王といわれたフジサンケイグループの議長・鹿内信隆。フジテレビを日本一のキイ局に育て上げ、息子の春雄を後継者にした後に引退を表明。鹿内家の支配は完璧に見えた。しかし、春雄の急死、それに伴う娘婿・宏明の議長就任─グループ内部は静かに揺れ始める。そしてクーデターが起きたのだ!
<memo>
鹿内信隆フジサンケイグループを語るのに必須の一冊。講談社ノンフィクション賞などを受賞したこのノンフィクション作家はどこへ行ってしまったのだろう。その後の著作を見かけない。
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