司馬遼太郎◎街道をゆく(26)仙台・石巻
* 石巻は江戸期、奥州の「大外港として栄えた。ただし、明治二十年代だったか、東北本線の開通によってたちまちさびれ、いまは漁港でしかない。 しかし商店街の様子をみていると、街に力が十分あるようにも思える。 「ハリストス教会はどこにありますか」〔…〕 そこに美しい建物が保存されていた。 西洋の教会とも、日本の城の櫓ともつかぬふしぎな折衷建造物だった。〔…〕 「明治のころの土地の大工さんが建てたものですから」 松平神父がいった。建てた大工さんは、おそらく西洋建築というものを見たことがなく、まして教会建築も知らず、まあこういうものか、と想像してつくりあげて行ったにちがいない。 「石巻は、いいところですね」 なにやら、この明治製のロシア正教の建物をみていると、石巻という街の個性が、この一点に象徴されているような感じがしてきた。 私は、東北にハイカラさを感じつづけてきたが、そういう思いを形にすればこれではあるまいかとも思えてくるのである。 ──「仙台・石巻」 |
◎街道をゆく(26)嵯峨散歩仙台・石巻│司馬遼太郎│朝日新聞出版│ISBN:9784022549662│1985年11月/文庫版: 2009年02月│評価=○
<キャッチコピー>
「仙台・石巻」の主役は戦国の雄、伊達政宗。もっとも戦場の勇敢さがテーマではなく、運河の開発、河川の改修と土木に苦労した政宗を考える。
<memo>
「奥州というと、その地名のひびきを聴くだけでも心のどこかに憧憬のおもいが灯る」(「陸奥のみち」)と司馬遼太郎が書き、歩いた東北地方が2011.3.11の地震津波で壊滅状態になっている。その一つ、石巻も多大な被害を受けている。「港としての石巻は、江戸以前には存在していなかった。河口もなかった。この川も、港も、伊達政宗がつくった」、そして「江戸期、石巻湊の存在は、かがやかしいものだった。奥州第一の商港とされた」(本書)。上掲の「旧石巻ハリストス正教会教会堂は、東北地方太平洋沖地震で、大きく損傷を受けたため、当分の間見学できません」(石巻市ホームページ)。
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