佐野真一◎巨怪伝──正力松太郎と影武者たちの一世紀
* コールダーホールの視察にも同行した前出の島村武久は『原子力談義』という著書のなかで次のように述べている。〔…〕 <本当をいいますと、正力さんのあの無茶苦茶な英断があったからこそ、今日、日本で原子力がこれだけ進んだと思うんですよ。 基礎から研究して積み上げてということだったら、いつになるやらわかりませんからね>〔…〕 茨城県東海村の日本原子力発電所内に設置されたこの日本唯一の天然ウラン黒鉛減速炉は、平成6年現在、建設準備中のものを含めると54基、発電量にして29パーセントを占め、アメリカ、フランスに次ぐ原発大国日本のスタートを切るものだった。 その東海村の用地を決定したのも正力だった。〔…〕 正力が原子力研究所の敷地を選定するにあたって最も重要視したことは、広い敷地を確保することだった。正力は近い将来、同じ敷地内に原子力発電所を併設する構想をすでにもっており、そのためには百万坪をこす土地がどうしても必要だった。 ──「第13章 発火と国策」 |
◎巨怪伝──正力松太郎と影武者たちの一世紀│佐野真一│文藝春秋│ISBN:9784163494609│1994年11月/文庫版(上・下)2000年5月│評価=○
<キャッチコピー>
左翼弾圧に竦腕を振った警視庁幹部の正力は摂政宮狙撃事件で辞任し、読売に転じた。多年培った情報網と政・官・財の人脈を挺子に部数百倍増を達成。テレビ・プロ野球・プロゴルフ・プロサッカー、さらに原発まで創始…。大正・昭和の裏面史を体現した破天荒男の痛快伝。
<memo>
「プロ野球の父」「テレビの父」といわれた正力松太郎は「原子力の父」でもあった。日本初の原子炉築造予算にかかわった若き中曽根康弘や「原子力に自主開発をやっているひまはない、輸入したほうが手っ取りばやい」という正力原子力委員長の発言に委員を辞任しようとする湯川秀樹が登場する。
それにしても2011.3.11の震災津波原発事故、その2日後に会見して以来、雲隠れし姿を見せない東京電力社長。民主党政権は“政治主導”がウリで、ことあるごとに“民間では考えられない”と役所・公務員を誹謗してきたが、いまがんばっているのは知事・市長、公務員であり、この民間の雄・東電の「コストカッター」と呼ばれた清水正孝社長の無責任ぶりは菅直人首相に匹敵する。
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