北村薫/宮部みゆき:編◎名短篇、さらにあり
* 鶴沼にも数枚の画は置いてあるがその中では不動図がずば抜けている。それでいてこの画は不運つづきだ。 仮巻のまま十数年も棄て置かれたり、石井さんには未完成だといわれたり、東京の家人には嫌われて海辺の家へ逃げて来たが、此処にもかける場所がない。 そんなこんなを思うといよいよ不動図がいとしくなって、 「誰が何といっても俺はこの画を手放さない。俺と一緒に苦労するんだ」 と画に向って独り言をいいつつ、不動さんを見つめていると、秘書が新聞を持って来た。見ると石井鶴三さんが亡くなったと出ている。 これは何という事か、石井さんの不動図に向って独語している最中に石井さんの訃を聞くとは。 何という因縁か、石井さんはこの画に金の加彩をするといいながら到頭しなかった。自分はこれで満足しているが石井さん御自身は未完成のつもりだ。 こんないい画なのに多勢からは嫌われ、飾る壁面もなくて作家の石井さんは世を去った。 不動図は今や全く孤独である。 ──川口松太郎「不動図」 |
◎名短篇、さらにあり│北村薫/宮部みゆき:編│筑摩書房│ISBN:9784480424051│2008年02月│文庫│評価=○
<キャッチコピー>
『名短篇、ここにあり』では収録しきれなかった数々の名作。人間の愚かさ、不気味さ、人情が詰った奇妙な12の世界。舟橋聖一「華燭」、永井龍男「出口入口」、林芙美子「骨」、内田百閒「とほぼえ」岩野泡鳴「ぼんち」など。
<memo>
『名短篇、ここにあり』の<memo>に、「『小説新潮』」(2006年11月号)の創刊750号記念名作選を基に、新たに編んだ文庫オリジナルである」とある。なんだ、本の目利き二人が選定したのではなかったのか、と書いたが、無名氏から『小説新潮』の選定は両氏が行ったものとのご指摘を受けた。まことに非礼であった。お詫びします。本書は、その続編。
宮部みゆきが「私はもしかしたら、いちばん好きな短篇かもしれません。これは泣けるぅ、と思ったんですよ」と激賞する川口松太郎「不動図」。この作品を読んだ日(2011年2月15日)、偶然にも朝日新聞の文化欄に、石井鶴三の遺品から鶴三が挿絵を手がけた作家たちの手紙が見つかった、という記事があった。中里介山とは相性が悪く『大菩薩峠』の挿絵集を出そうとすると、介山は「物語から着想を得た挿絵は小説の複製」として出版中止の訴訟を起こしたという。
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