吉村昭◎三陸海岸大津波
* 或る海辺に小さな村落があった。戸数も少なく、人影もまばらだ。が、その村落の人家は、津波防止の堤防にかこまれている。防潮堤は、呆れるほど厚く堅牢そうにみえた。見すぼらしい村落の家並に比して、それは不釣合なほど豪壮な構築物だった。 私は、その対比に違和感すらいだいたが、同時にそれほどの防潮提を必要としなければならない海の恐しさに背筋の凍りつくのを感じた。〔…〕 私は、田野畑村羅賀の高所に建つ中村丹蔵氏の家の庭先に立った折のことを忘れられない。海面は、はるか下方にあった。その家が明治29年の大津波の折に被害を受けたことを考えると、海水が50メートル近くも逼(は)い上ってきたことになる。 そのような大津波が押し寄せれば、海水は高さ10メートルほどの防潮提を越すことはまちがいない。〔…〕 しかし、その場合でも、頑丈な防潮理提は津波の力を損耗させることはたしかだ。それだけでも、被害はかなり軽減されるにちがいない。 |
◎三陸海岸大津波│吉村昭│文藝春秋│ISBN:9784167169404│2004年03月│文庫/旧版:「海の壁三陸沿岸大津波」ISBN:9784121002242│1970年07月│新書を改題│評価=○
<キャッチコピー>
明治29年、昭和8年、そして昭和35年。青森・岩手・宮城の三県にわたる三陸沿岸は三たび大津波に襲われ、人々に悲劇をもたらした。大津波はどのようにやってきたか、生死を分けたのは何だったのか──前兆、被害、救援の様子を体験者の貴重な証言をもとに再現した震撼の書。
<memo>
吉村昭は岩手県田野畑村の名誉村民である。田野畑出身の友人の言葉に惹かれ同地を訪れ、それが契機となって『星への旅』を執筆。同地を扱ったエッセイに「自然と人間が共存する村」などがある。本書にこんな記述がある。──明治29年の大津波以来、昭和8年の大津波、昭和35年のチリ地震津波、昭和43年の十勝沖地震津波等を経験した岩手県田野畑村の早野幸太郎氏(87歳)の言葉は、私に印象深いものとして残っている。〔…〕「津波は、時世が変ってもなくならない、必ず今後も襲ってくる。しかし、今の人たちは色々な方法で十分警戒しているから、死ぬ人はめったにないと思う」。だが2011.3.11震災によって、その田野畑村は、人口1184人中死亡・不明者45人。こんな言葉を思い出した。「地球はあまりにも壮大で、地球は地球を生きているだけなのである。人間のために地球が存在するなどということは絶対にないのだ」(立松和平)。
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