大森実◎わが闘争わが闘病
* 「真実を書くことによる、小説の信憑性を増すことを目的に、私の著作の、いかなる部分を引用されても、差し支えありません」 という、約定書のようなものを書いて、それにサインし、 「これにお豊さんのサインがあれば、正式文書になるので、盗作問題は起こらないだろう」〔…〕 「お豊さん、昨日渡した約定書草案の、きみのサイン入り文書を返してくれないかね」と切りだすと、山崎さんは、ぐっと詰まりました。 一緒に大阪から同道してきた、野上という年配の女性秘書が、 「あの文書の中の、真実の信憑性を増すためにという件りが、ねえ……」 と言いだしたので、主人が、 「その条件設定に、不満があるのか?」〔…〕 「断る! 昨日、渡した約定文案も白紙撤回だ!一体、きみは、どういう大森実を書く気だったんだ!」 野上秘書が、口を挟んできました。まるで、スポークス・ウーマンのような、口のききかたでした。 「神戸生まれでも、大阪本社出身でもない、どこの誰かわからない、作中人物を描けばいいのです。私は、大森実なんていう人物は知らなかったし、作品を読ませてもらって、偉い人がいるなあ、と思っただけですから」 ──「第11章 作家山崎豊子との諍」 |
◎わが闘争わが闘病│大森実│講談社│ISBN:9784062117029│2003年01月│評価=○
<キャッチコピー>
顧みてまったく悔いなきわが人生の裏側には、これまで誰にも語らなかった「わが闘争」の血みどろな裏面史が秘められていたことを、そろそろすべて洗いざらいに打ち明けておくべきときがきているように思える。病気との生涯の闘争、借金との乱闘など、言うならば、これは「わが遺言」になるかもしれない。
<memo>
本書は恢子(ひろこ)夫人との共著。上掲部分は夫人の筆。『エンピツ一本』1992 、『激動の現代史五十年』2004とともに、晩年の回顧録三部作の一つ。
アメリカ在住の著者のもとに、2000年3月、作家山崎豊子から「生涯最後の作品として大森さんを書かして貰いたい」との手紙が届く。山崎豊子とは20代のころ、結核で入院中の著者に「私の小説を読んでほしい」と『暖簾』の原稿を持ち込まれて以来、『白い巨塔』のヒントを提供したり、盗作事件を起こした際助けたりした。元毎日新聞の同僚である。上掲の部分は、「中国の遺児をモデルにした『大地の子』を書いたとき、京都大学の竹内実教授から、自分の著述のいかなる部分を使ってもよい、という約定書をもらったので、大森さんも、そういう約定書を書いて」と執拗に依頼されたときのエピソード。山崎は大森に拒否されたあと、同じ毎日新聞の西山太吉記者の沖縄密約・外務省機密漏えい事件を扱った『運命の人』を書く。
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