本田靖春◎複眼で見よ
* 私の本業はノンフィクションを書くことである。この仕事はまことに効率がわるい。なぜなら、事実によってしか事柄を語ることが許されていないからである。 たとえていうなら、小説はラグビーで、ノンフィクションはサッカーということになろうか。 小説家はいくらでも想像力を広げることができるが、ノンフィクション作家は同じ手を使うことができない。ひたすら事実の片々の蒐集に手間と時間をかけ、それを積み上げていく。 サッカーは、人間の意のままに動く両手の使用をあえて禁止することにより、わずかな点差を競い合うゲームとなって、ラグビーとは違った緊迫感を観客にもたらす。 “手”をしばられたノンフィクションの書き手が目指すのも、不自由をくぐり抜けた末のゴール・ポストである。 もちろん、書き手がこっそり“手”を使う場面もないとはいえない。だが、そんなことをすれば、かりにその箇所が好都合に運んだとしても、かならず全体がそこなわれる。インチキくさくなるのである。 ──「“やらせ”を問う」(1993) |
◎複眼で見よ│本田靖春│河出書房新社│ISBN:9784309020365│2011年04月│評価=○
<キャッチコピー>
戦後を代表するジャーナリストが遺した、選りすぐりのジャーナリズム論とルポルタージュで構成する単行本未収録作品集成。権力と慣例と差別に抗った眼識が、現代にも響き渡る。
<memo>
↓姉妹編。
武田浩和・編集●本田靖春――「戦後」を追い続けたジャーナリスト
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