江川紹子:編◎特捜検察は必要か
* 検察への信頼が地に堕ちている現在の状況は、特捜捜査の瑳鉄そのものである。〔…〕
結局、自白や関係者供述によって「悪者」中心のわかりやすいストーリーを組み立てるという方法は、政治・社会・経済の状況が大きく変化し、特捜検察が捜査の対象とする分野、適用する罪名が変わっても、かつて贈収賄中心の政界汚職捜査で用いられた「大艦巨砲主義」的な捜査手法と基本的に変わっていない。
それが最近の特捜検察の不振・低迷、そして、迷走・暴走を招いている最大の原因と言うべきであろう。
特捜検察をめぐる問題の本質は、社会が複雑化・多様化する中で、特捜検察が、ロッキード事件の戦勝体験をいまだに引きずり、
組織の閉鎖性、硬直性ゆえに、旧来の組織の論理や捜査手法を抜本的に改めることができず、社会の変化の中で大きく立ち遅れていることにある。
問題の根本にある組織体制や捜査手法、意思決定システムを、抜本的に改革しない限り、特捜検察が今後も、検察の正義の象徴として生き残っていくことはできないであろう。
──郷原信郎「歴史的視点からみた特捜検察」
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◎特捜検察は必要か│江川紹子:編│岩波書店│ISBN:9784000258067│2011年03月│評価=△
<キャッチコピー>
特捜検事が証拠改ざん容疑で逮捕された。この事件の背景には何があるのか。特捜部のこれまでの輝かしい歴史は、「神話」に過ぎなかったのか。検察組織をどのように改革すべきなのか。論客たちが多角的に検討、発言する。郷原信郎、木谷明、デビッド・T・ジョンソン、和泉かよ子、河合幹雄、落合洋司、魚住昭、弘中惇一郎、宗像紀夫等の発言。
<memo>
鈴木宗男議員、小沢一郎関連の“国策捜査”やライブドア事件、村上ファンド事件をみていると、日本の政治・経済の方向は特捜検察が決めていると感じる。それを煽っているのがメディアである。検察暴走はメディアも同罪であることが郷原信郎「歴史的視点からみた特捜検察」を読めば浮かび上がってくる。
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