発掘本・再会本100選★ロマネ・コンティ・一九三五年│開高健
* 小説家はおずおずと体を起し 「では」 とつぶやいた。 「やるか」 暗い果実をくちびるにはこんだ。 くちびるから流れは口に入り、ゆっくりと噛み砕かれた。歯や、舌や、歯ぐきでそれはふるいにかけられた。分割されたり、こねまわされたり、ふたたび集められたりした。 小説家は椅子のなかで耳をかたむけ、流れが舌のうえでいくつかの小流れと、滴と、塊になり、それぞれ離れあったり、集りあったりするのをじっと眺めた。くちびるに乗ったときの第一撃にすでに本質があらわに、そしてあわれに姿と顔を見せていて、瞬間、小説家は手ひどい墜落をおぼえた。〔…〕 小説家は奪われるのを感じた。酒は力もなく、熱もなく、まろみを形だけでもよそおうとする気力すら喪っていた。ただ褪せて、水っぽく、萎びていた。衰退を訴えることすらしないで、消えていく。どの小流れも背を起さなかったし、岸へあふれるということもなかった。滴の円周にも、中心にも、ただうつろさしかなく、球はどこを切っても破片でしかなかった。 酒のミイラであった。 |
◎ロマネ・コンティ・一九三五年──六つの短篇小説│開高健│1978年5月│文藝春秋/文庫版:ISBN:9784167127121│2009年12月│評価=◎おすすめ
<キャッチコピー>
長年の旅と探求がこの作家にもたらした、深沈たる一滴、また一滴-。酒、食、阿片、釣魚などをテーマに、その豊饒から悲惨までを、精緻玲瓏の文体で描きつくした名短篇小説集は、作家の没後20年を超えて、なお輝きを失わない。川端康成文学賞を受賞した「玉、砕ける」他、全六篇を収める。
<memo>
細川布久子『わたしの開高健』を読んだ後、『ロマネ・コンティ・一九三五年』を再読したくなり、書架を探したが、すでに廃棄(?)。で、book offで購入。『わたしの開高健』に、ロマネ・コンティ・一九三五年のまつわる話があるので、ここに採録。著者は1997年、雑誌の仕事で、ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ(DRC)のオーナーにインタビューするためにヴォーヌ・ロマネ村を訪れる。
──DRCのオーナーは二人。〔…〕DRCの顔的存在のヴィーヌ氏は穏やかな物腰の知的な教授、鋭い目のロック氏は野心的な青年実業家というイメージである。〔…〕
「過去に多くの人がロマネ・コンティをさまざまなかたちで誉めそやしています。一番お気に入りの評価は?」
ヴィレーヌ氏が代表で応えた。
「日本の作家の小説『ロマネ・コンティ・一九三五年』です。このヴィンテージはもはや存在しないし我々のどちらも味わったことがありません。しかしこの小説を通して、完璧に、細部まで味わうことができました。ワインを味わう喜びを共有する最上の有り様が描かれていましたね」〔…〕
「ロマネ・コンティ・一九三五年は存在しなかったというフランス人のソムリエがいるんです。お二人は飲まなかったとおっしゃいましたが、このヴィンテージは事実、存在したのですね」
「もちろんです。我々は味わう機会がなかっただけです。しかし、あの小説のおかげで、実際のワインを飲んだかのように味わいつくすことができたのです」
「小説のなかで、フランソワ・ヴイヨンの詩を引用してワインの状態を描写していますが、いかがでした」
「見事な比喩です。マンフィック。もしあの小説を読まないでいたら、我々ついに一九三五年を知らないままだったでしょう」
(そして酒庫(カーヴ)を見学し、樽出しのロマネ・コンティ・1997年を試飲する幸運にめぐまれる。以下、著者の表現は開高健調になるのはやむをえない)
──カーヴ内の弱い照明の下でも、鮮烈なルビー色が燦然と輝く。芳醇な香りがじわじわ立ち上がる。華麗。繊細。豊潤。口に含む。何という恍惚。ビロード? サテン? しっとりとした感触。ノーブルでエレガント。完璧なバランス。これほどの美酒を吐き出すのは冒瀆だ。犯罪といってもいい。舌の上を転がしながらかみしめる。ゆっくり飲みほす。全身に幸福感が広がっていく。芸術としかいいようのないワインだった。
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