川西政明◎新・日本文壇史――第2巻・大正の作家たち
* 赤彦は茂吉との闘いに敗れた。〔…〕 赤彦は「馬鈴薯の花」で桔梗ケ原の寂滅と静子との愛を詠い、「切火」では煩悩を破砕するための八丈島行きを、子の眼病の病院に添う悲傷を、軽井沢での静子との愛慾を詠った。彼は大胆に詠い奔放に詠ったと自覚していた。しかし歌壇の評価は低かった。〔…〕 茂吉はまだ歌風が固まらないうちに『アララギ』の疾風怒涛の時代に遭遇し、まっしぐらに駆け抜けた。〔…〕 赤彦にとり幸運だったのは、彼にとり及び難い歌境にある長塚節が亡くなったことであり、 茂吉が長崎医学専門学校の教授になって東京を去り、ついで欧州に去ったことである。 赤彦は自分に不似合いな争いをする必要がなくなった。そして赤彦は信州へ帰還する。大正六年頃から赤彦の歌風が一変する。〔…〕 大正十四年、欧州から帰朝した茂吉は「太虚集」を読んで愕然とし、自分が完全に赤彦の後塵を拝したことを理解した。赤彦は近代との悪戦苦闘とその敗北を糧に普遍的生命力を表現していた。 赤彦の歌に花はなくとも、そこには生存の探重があった。「太虚集」の大部分はもはや歌の極致であると認め、茂吉はさらに自己の歌を極める道へと出てゆく。 ――第10章 島木赤彦と斎藤茂吉 |
◎新・日本文壇史――第2巻・大正の作家たち|川西政明|岩波書店|ISBN:9784000283625|2010年04月|評=○
<キャッチコピー>
大正の文士たちは、時代閉塞の状況を打破しようと、血気盛んで高慢、自信に満ちみちていた。志賀直哉と里見の絶交、葛西善蔵に秘密を暴露された広津和郎の困惑、茂吉夫人などが逮捕された文士賭博事件、波多野秋子と有島武郎の心中など、文壇の事件を活写する。
<memo>
広津和郎の秘密、文士賭博事件、有島武郎と波多野秋子の心中など文壇スキャンダル史。
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