細川布久子◎わたしの開高健
* 『これぞ、開高健。』の巻頭対談の相手は吉行淳之介さんだった。 それは「男の哀しさ」がたえずほころびでた対談だった。 誌上に載せることができたのはわずか半分。ほとんどオフレコだった。〔…〕 「四十二、三でえらい事件に出くわして……。早くいうと、前の晩、アレをしたりコレをしたりデタラメをしつくしてホテルで騒ぎまわった。その女が、翌日、交通事故で死んで……。救急病院で白い布を被って死んでいるわけ。夕べ寝た女を今日火葬場で見送るというようなことをやっちゃった。〔…〕 ヴェトナムで、いろんな戦場で、兵隊が目の前で死んでいく。ナイジェリアで子供が餓死していく。そこへハゲワシがやってきてジーツと見守っている。いろんなことを見て鍛えていたつもりだったけれども、それは鍛えたことにはならなかった。 結局、自分が情念をついやした女が死んだという、それだけのことでのけぞってしまう、はかないひとりの男にすぎなかった」 |
◎わたしの開高健│細川布久子│集英社│ISBN:9784420310536│2011年05月│評価=◎おすすめ
<キャッチコピー>
開高さんの電話は、いつも独特の挨拶で始まる。「アワレナカイコウデスガ…」私はいつもクスッと笑ってしまう。担当編集者として“私設秘書”として見つめてきた、作家開高健の素顔を描く。
<memo>
上掲は、以下のように続く。
「吉行さんは黙って杯を重ねながら耳を傾けている。傍らでカセットレコーダーをいじるふりをしながら、このように自分の挫折を告白する開高さんの正直さに私は胸をつまらせていた。」
本書はそのタイトルから、作家の死後にその愛人が告白するたぐいの本かと思ったが、そうではない。編集者として、師と畏敬する作家・開高健への愛惜極まりないオマージュである。なんだか切なくなる本である。著者にはかつて1995年に開高健賞奨励賞の『エチケット1994』(文庫化で『部屋いっぱいのワイン』と改題)という著書がある。本書で開高健ノンフィクション賞を受賞できるかどうか、前著との重複部分がかなりあるので、そこが心配。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント