佐野真一◎津波と原発
* 「田老の防潮堤は何の役にも立たなかった。それが今回の災害の最大の教訓だ。ハードには限界がある。
ソフト面で一番大切なのは、教育です。海に面したところには家を建てない、海岸には作業用の納屋だけ置けばいい。それは教育でできるんだ」〔…〕
「大船渡は昭和8年の大津波のとき、2人しか死ななかった。ところが1960年のチリ地震津波のときは、行方不明も含めて53人も死んだ。そこでこれは大変だ、防潮堤をつくらなきゃとなった」〔…〕
「彼らは1960年代の公共事業のネタ探しに夢中になっていたからね。
日本人がもう一つ反省しなきゃならないのは、 マスコミの報道姿勢だ。家族のことが心配で逃げ遅れて死体であがった人のことを、みんな美談仕立てで書いている。
これじゃ何百年経っても津波対策なんかできっこない」
|
◎津波と原発│佐野真一│講談社│ISBN:9784062170383│2011年06月│評価=△
<キャッチコピー>
「場合によっては逮捕されることも覚悟で立ち入り禁止地区に入ったのは、原発事故に対する大メディアの報道に強い不信感をもったからである。新聞もテレビもお上の言うことをよく聞き、立ち入り禁止区域がいまどうなっているかを伝える報道機関は皆無だった」(本文)。東日本大震災にノンフィクション界の巨人が挑む、書下ろし400枚。東日本大震災ルポの決定版。
<memo>
上掲の談話は山下文男氏。日本共産党の元文化部長で、著者とは旧知の間柄。1924年岩手県三陸海岸生まれ。自らも少年時代に津波や東北大凶作を体験。『津波てんでんこ―近代日本の津波史』等津波災害の著書多数。「てんでんこ」とは「てんでんばらばらに」の意味。人に構わず逃げろ―と山下さんが何度も訴え全国的に広まった言葉。『哀史三陸大津波 歴史の教訓に学ぶ』等の著作。陸前高田市の県立高田病院に入院中に今回の津波に遭い、首まで水に漬かりながらも奇跡的に助かった。
| 固定リンク
コメント