毛利甚八◎白土三平伝──カムイ伝の真実
* 問題は『カムイ伝』をどこで発表するのか、ということだった。〔…〕 仕事が増えてきた大手出版社で仕事をすることも考えたが、表現を制限され、打ち切りになってもつまらない。 白土三平は『カムイ伝』を、自由に、自分の限界を試すまで描いてみたかったのである。白土の強い自負と表現への渇望がそこにあった。 そこで考えられたのが、自ら雑誌を起こし、そこに『カムイ伝』を連載するという計画だった。 その雑誌を長井勝一に任せたのは、長井のもとで措くほうが作品を描きやすい(事実、大ヒットした大長編『甲賀武芸帳』と『忍者武芸帳』は長井のもとで描き始められている)という思惑があったと思われる。 もちろん長井には雑誌を立ち上げる自己資金などない。そこで白土は、「少年」に連載中の『サスケ』の単行本を長井に刊行させ、その利益で雑誌を立ち上げてはどうかと考えた。 問題は『サスケ』の出版権は光文社にあるということだ。白土は桑田裕に、出版権を光文社から長井の青林堂に譲れないか相談した。 すると桑田はあっさりと出版権の譲渡を認めた。その豪傑ぶりに白土は舌を巻いた。 ここに、マンガ家が本人の金で雑誌を創刊し、その雑誌に自らライフワークを掲載して世に問うという前代未聞の実験が始まることになったのである。 |
◎白土三平伝──カムイ伝の真実│毛利甚八│小学館│ISBN:9784093881937│2011年07月│評価=○
<キャッチコピー>
「謎」のマンガ家・白土三平79歳の素顔。その作品を高く評価されながら、長い間マスコミにまったく登場しない「謎の漫画家」として、ある種伝説を持って語られてきた白土三平の肉声がふんだんにちりばめられた貴重な記録。
<memo>
白土三平のデビュー当時のことは長井勝一「『ガロ』編集長──私の戦後マンガ出版史」(1982)に詳しい。本書は、父である画家・岡本唐貴との少年時代、そして70代の釣り三昧の近況に詳しい。
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