田島泰彦ほか:編◎調査報道がジャーナリズムを変える
* 何よりも調査報道の観点から眺めると、メインストリームメディアによる福島原発報道はまさに発表報道のオンパレードであり、政府(官房長官や原子力安全・保安院職員など)や東京電力による会見等の発表をほぼそのまま伝え、解説するというスタイルが報道のベースであり、大きな流れになっている。 これでは、かつての「大本営発表」報道とどこが違うのか。 当局の発表を鋭く問いただし、批判的に吟味、検証し、伝える役割が果たせないだけでなく、発表報道から離れて福島原発をめぐる実態に迫るべく、メディアが独自に取材し、伝える調査報道は全体としてきわめて少ないと言わざるを得ない。〔…〕 調査報道を欠落させ、発表報道をひたすら続ける一方、言論の公平、公正や多様性を捨て去り、一方的、一面的な報道に傾斜してきたメインストリームメディアの原発報道は、ジャーナリズムの存在意義と真価が根本から問われている。 ──田島泰彦「調査報道と表現の自由」 |
◎調査報道がジャーナリズムを変える│田島泰彦/山本博/原 寿雄:編│共栄書房│ISBN:9784763406033│2011年06月│評価=△
<キャッチコピー>
ジャーナリズムの危機を露呈させた「原発」報道。「発表報道」依存に陥った日本のメディアの危機的現実。ジャーナリズムが本来の活力を取り戻すには?ネット時代のジャーナリズムに、調査報道は新たな可能性を切り拓くのか?
<memo>
ソーシャル・メディアの台頭によってマス・メディアの時代が終わると思っていたら、それ以前に劣化によってマス・メディアの終焉を迎えようとしている。本来時の政権に対し建設的批判をするのがジャーナリズムの役割のはず。延々と菅直人擁護の論陣を張ってきた朝日新聞はもはや滅亡寸前である。菅政権と朝日新聞、共通のキーワードは“劣化”だった。「七月の雨や六、五、四、三月 宇多喜代子」(「俳句」9月号)
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