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2015.12.26

岩瀬達哉★ドキュメント パナソニック人事抗争史/立石泰則★パナソニック・ショック

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 森下〔社長〕は
MCAの売却に踏み切る。MCAをマネジメントすることもできず、MCAを利用した新しいビジネスを始めるなどの事業戦略も持たない以上は、もはや手放すしかなかった。〔…〕MCAの買収は失敗だったのである。

――立石泰則『パナソニック・ショック』

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MCAの買収は、その膨大なソフトに魅力を感じたからですわ。映像ライブラリーだけでなく、音楽著作権などソフトの宝庫やからね。ところが、森下〔社長〕には、その事業の奥深さが理解できなかった。〔…〕その辺のセンスがないから、苦労して買ったものを叩き売ってしまった」

――岩瀬達哉『ドキュメント パナソニック人事抗争史』



★ドキュメント パナソニック人事抗争史│岩瀬達哉
│講談社│ISBN9784062194709201504月│評価=○│★パナソニック・ショック│立石泰則│文藝春秋│ISBN9784163759609201302月│評価=

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 ノンフィクション作家の立石泰則と岩瀬達哉は、共に松下・パナソニックという企業の長年にわたるウオッチャーである。立石泰則には、『復讐する神話 松下幸之助の昭和史』(1988)など、同じく岩瀬達哉には『血族の王―松下幸之助とナショナルの世紀』(2011)などの著書がある。

 ここにとりあげる『ドキュメント パナソニック人事抗争史』(以下「岩瀬本」)と、立石『パナソニック・ショック』(2013)(以下「立石本」)は、とともに“歴代社長勤務評定本”である。この岩瀬本と立石本のもっとも違うところは、アメリカのMCAの買収と売却問題の評価である。売却したことを、岩瀬本は否とし、立石本は是とする。


  MCAとは、アメリカの娯楽企業だが、MCAレコードやユニバーサル映画を傘下に持つ総合メディア企業となり、現在はメディア・コングロマリットのNBCユニバーサルの一部となっている。

創業者松下幸之助が死去した翌年1990年、第4代谷井昭雄社長時代に、このMCAを買収し、わずか5年後の1995年第5代森下洋一社長時代に売却した。

松下といえば、創業家と経営者との軋轢がつねにマイナス・イメージとして流布されてきた。ちなみに5代社長以降は松下幸之助から直接薫陶を受けたことがない社長である。

 MCAの購入は、当時の円換算で約7,800億円、日本企業による海外企業の買収金額としては当時、史上最高額であった。立石本によれば、その決断は社長の谷井ではなく、会長の松下正治が下したもの。「その決断に際して、後ろを振り返ってみれば、誰もいないのです。誰もいてくれないのです。まことに身の引き締まる思いがしました」(立石本)

 しかしMCAの買収は失敗だった、と立石本はいう。「コンテンツ・ビジネスにはまったくの素人に過ぎないし、取り組むための人材も不足していた。さらに言うなら、MCAを買収して何がしたいのか、何が出来るのか、それを踏まえたビジョンが必要だが、当時の松下電器には準備されていたとは言い難い」。

森下社長はMCAの売却に踏み切る。松下会長の経営責任を問うこともなく。森下はさらに松下の長男を副社長に昇任させる。

 他方、岩瀬本は、MCAの買収は谷井社長が決断したものとして、こう書く……。

 
――会長として、創業家の代表として、松下電器を預かる立場の正治にとってみれば、いわば蚊帳の外に置かれたも同然の形で進行した
MCAの買収は、谷井の身勝手な行動であり、出過ぎた経営と映るようになる。〔…〕

もともとが、買収に面白くない思いを抱いていただけに、正治は、しばしば辛辣な発言で、本心の不同意をアピールした。「(MCAを)買うのはいいが、その金を銀行に預けておけば、年間600億円の利子が手にできる」といった具合に。


岩瀬本は、米国の大学や研究機関のデータベースにアクセス、松下とMCAに関する英文資料から交渉の内幕を明らかにする。たとえば、大阪のUSJというテーマパークが活況を呈しているが、森下社長は「小さな投資ながら、大きなリターンを生むビジネス」を「容赦なく蹴っ飛ばしてしまった」などと。


森下社長時代の経営を「戦略なき失速の時代」と酷評した元営業担当副社長で、森下の上司でもあった佐久間昇二。

MCAを生かせば、MCAを中核として世界のソフト、特にアメリカのそれに深くかかわることができた。惜しかったですね。あれを失ったのは実に惜しかった」

 
 立石本、岩瀬本とも松下、パナソニックの歴代社長
8人のうち森下社長をワースト1とする。森下は、創業家の“窓口役”として社長に選ばれ、やがてMCAをふくむ前社長路線を全否定した。加えて学閥をつくり、後継者の芽を摘み、「聞いていない」「わからん」を連発し、ついには“社内失業率1割”という惨状となった。

 
 当方が仕事で松下の拠点である大阪ツインタワーを訪れたとき、入れ代わり立ち代わり名刺交換をした松下社員の数にあきれ、松下は“大企業病”だと感じたのは、この
5代森下時代だった。

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