三浦英之■五色の虹――満州建国大学卒業生たちの戦後
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谷〔学謙〕は明らかに狼狽していた。
「私はこの数週間準備を重ね、この日をずっと楽しみにしていたのです。あなたに伝えたいことがたくさんあります。午前中も胸を高鳴らせてずっと待っておったのです。それなのに突然電話が来て、日本人の記者とは会ってはいけないということになり、私は今どうしていいのか……、悲しくて……、悔しくて……、とても……」
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中国政府はある意味で一貫していた。
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《不都合な事実は絶対に記録させない――》
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戦争や内戦を幾度も繰り返してきた中国政府はたぶん、「記録したものだけが記憶される」という言葉の真意をほかのどの国の政府よりも知り抜いている。
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記録されなければ記憶されない、その一方で、一度記録にさえ残してしまえば、後に「事実」としていかようにも使うことができる――。
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戦後、多くの建国大学の日本人学生たちが「思想改造所」に入れられ、戦争中に犯した罪や建国大学の偽善性などを書面で残すよう強要されたことも、国内の至る所でジャーナリストたちに取材制限を設け、手紙のやりとりでさえ満足に行えない現在の状況も、この国では同じ「水脈」から発せられているように私には思われた。
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■五色の虹――満州建国大学卒業生たちの戦後│三浦英之│集英社│ISBN:9784087815979│2015年12月│評価=◎おすすめ
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建国大学は、「民族協和」を建学の精神とし将来の満州国建設の指導者を養成するため、1938年新京市(現長春市)に設立された。1945年満州国崩壊により閉学まで7期生約1400名が在籍した。
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1期生は約2万人の志願者から150名が選ばれた。日本人65人、中国人59人、朝鮮人11人、モンゴル人7人、ロシア人5人、台湾人3人という内訳。その最大の特色は、日本政府を公然と批判する自由を含め「言論の自由」が保障されたこと。
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卒業生、とりわけ外国人の戦後は、「日本の帝国主義の協力者」とみなされ、逮捕、拷問、自己批判、強制労働など過酷な人生を余儀なくされた。すでに85歳を超える卒業生たち会い、その過去と現在を知るため、著者は大連、長春、ウランバートル、ソウル、台北、カザフスタンのアルマトイ等を訪ねる。
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1期生で反満抗日運動のリーダー、在学中に憲兵隊に逮捕され、無期懲役の判決を受けた楊増志に大連で会ったとき……。話が1947年国民党軍が支配していた長春の街を共産党軍が巨大なバリケードで封鎖し兵糧攻めにした「長春包囲戦」(約30万人の市民が餓死)に及ぶと、楊増志に同行してきた男の携帯電話が鳴り、突然取材は打ち切られる。
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台湾人1期生でのちに「台湾の怪物」と呼ばれた李水清は言う。
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――楊にとってみればね、現在の共産党政権でさえ、たまたま今の中国に居座っている一時的な為政者にすぎないんだよ。だってそうでしょう?一党独裁政権が未来永劫継続するなんてあり得ない。すべては歴史が証明している。清朝は300年続いた。満州国は13年で終わった。共産党政権は今60年ちょっと続いているにすぎない。中国の長い歴史から見ればね、今の中国の政治状態だって、ほんの一時代の揺らぎのようなものにすぎないんだよ。そんなものに惑わされて、自らの信念を翻させられてたまるか。それが彼の生き方なんだ。(本書)
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そして上掲。長春の7期生の谷学謙は、日本の工作員だとあなどなれながらものちに東北師範大学教授、日本語教育の権威となり、今回の著者の取材のビザの発給、招聘状などに便宜を図ってくれた人。インタビュー直前に不許可となり、会うこともできなかった。
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本書は、一時は刊行を断念するなど紆余曲折を経ながらも、97歳となった楊増志から届いた漢詩を契機にどうしても記録を残さねばと、建国大学同窓会の協力により刊行にこぎつける。本書の中で満州国の研究者山室信一京大教授は言う。「歴史がせり上がってくるには時間が必要なのだ」。
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建国大学卒業生たちが次々鬼籍に入るなか、ぎりぎりに沈黙から開放された当事者たちの貴重な過去と現在の証言である。いっきに読ませる筆力、渾身のノンフィクションだ。
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