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2016.02.08

野口武彦■花の忠臣蔵

20160208

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〔大石内蔵助がお預け先の細川家から細井広沢にあてた書簡〕

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あの夜同志たちと謀って上野介屋敷へ討ち入り、手向かった家来は斬り捨て、本意のとおり上野介殿を討ち取りました。〔…〕その折、上杉の御人数は討ち出て来ず、半弓その他大勢を防ぐ武器はすべて無用になりました。

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そのおかさしさに、

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覚悟したほどには濡れぬ時雨かな〔…〕

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この「おかしさに」という感想はたんに拍子抜けがしたというだけのことだろうか。そうではあるまい。

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ただ予想と違ったというばかりでなく、

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内蔵助は上杉勢が吉良邸に駆けつけなかったことにいたく失望している気配なのである。

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吉良邸討ち入りがほぼパーフェクトゲーム的に成功したことの結末がこんなふうに穏やかにつくとは、どこか根本的に腑に落ちないものがあった。

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だいだい、いくら袱紗に包んであるとはいえ、上野介の首級を堂々と槍の穂先に掲げているのを奪い返しに来ないというのは道理に合わないではないか。

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■花の忠臣蔵│野口武彦│講談社│ISBN9784062198691201512月│評価=◎おすすめ

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『花の忠臣蔵』(2015)は、歴史ノンフィクションとしてまことにおもしろい。第1に、現代的視点であること。第2に出典資料を現代語訳で引用したこと。第3に、細部が具体的であること。

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本書は、野口版「忠臣蔵三部作」と宣伝されているが、『忠臣蔵――赤穂事件・史実の肉声』(1994)に『忠臣蔵まで――「喧嘩」から見た日本人』(2013)の一部を加えたリニューアル版である。

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 リニューアルの最たるものは、引用資料が現代語訳になったこと。たとえば、浅野内匠頭について、『忠臣蔵まで』では当時の紳士録に、

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――長矩、智有て利発也。家民の仕置もよろしき故に、士も百姓も豊也。女色好む事、切也。

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 とあるのを、本書では、

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――長矩は知恵があって利発である。家民の仕置もよろしいので、武士も百姓も豊かである。女色を好む気持ちが切実である。

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となり、スムーズに読めるようになった。歴史書のたぐいは引用部分が難解で読むのに時間がかかるが、本書では現代語訳でそれをクリアして若い読者に親切である。

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 本書のテーマは著者が「少し長めのあとがき」で自ら「解説」もしているので、ここでは貨幣経済や「片落ち」自力救済には触れない。本書のノンフィクションとしての魅力は、現代の人間がテレビ・クルーを連れて元禄時代へ分け入り、現代の視点で実況するところにある。

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 現代を彷彿させる記述が多い。たとえば、討ち入り事件後、三奉行(寺社奉行・勘定奉行・町奉行)に大目付をくわえた評定所が、浪士に同情的で吉良・上杉両家に厳しい処分の「答申」をする。これなど安保法制審議で国会が招へいした学者全員が「憲法違反」とした事例に似ている。単純短慮の安倍首相=綱吉、小賢しい功臣菅官房長官=柳沢吉保は、あわてふためくの図。

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 赤穂の面々は、堀部安兵衛ら江戸急進派、原惣右衛門・大高源五ら上方武断派、大石内蔵助らタテマエ派、そしてやむを得ぬ事情の脱落者たちに分け、その言動の差異を追うのもリアルである。

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吉良屋敷で最後まで上野介を守ったのは須藤与一右衛門、鳥井利右衛門、清水一学で、これを堀部安兵衛、矢田五郎右衛門、間十次郎が討った。「上野介と思われる人物が脇差を抜いて振りまわすのを武林唯七が一刀で斬り倒した」(本書)。吉良側の死者は上野介を含め17人、負傷者28人、死傷を免れた者101人、大石側は、死傷者0、と細部はノンフィクションらしく具体的。

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 また、三島由紀夫が日本史を飾る三大テロはいずれも雪景色が不可欠だったと、忠臣蔵の討ち入りの夜、桜田門外の変、井伊大老の暗殺の朝、そして二・二六事件を掲げた話を、著者は披露する。そして堀部弥兵衛の辞世の句、「雪晴れて思ひを遂ぐる朝かな」などから、討ち入り時には雪はもう止んでいたという「雑談」を綴るのも一興。なお、浪士には俳人が多く、情報戦で活躍する。

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 米沢藩当主上杉綱憲は「赤穂一党をひとりも余さず討ち止めよ」と荒れ狂った。が、吉良の喧嘩を上杉が買うのは上意に逆らうことだとの幕府に恫喝に屈する。吉保は儒者荻生徂徠の知恵を借り、赤穂浪士の筋を通し、上杉家の面目を保ち、助命論をも押しつぶす案を採用する。

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 さて、上掲は世話になった儒者細井広沢へ大石内蔵助が「本意のとおり上野介殿を討ち取りました」という手紙の一部。綱吉、吉保など幕府はどう出てくるかを思いめぐらす内蔵助……。映画や芝居では描き切れない「思い」を、著者は見事に切りとった。

   
 

野口武彦□慶喜のカリスマ

 

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