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2016.11.15

井出幸男■宮本常一と土佐源氏の真実

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 かつて宮本は、〔……〕「左近翁に献本の記」という一文を書いている。その中で今注目されることは、「私のように民俗の採集を学問とするよりも詩とせんものには、――」と述べていることである。

 これは昭和13年の時点での文章であるが、ここには宮本の持っている資質の本質とも言うべきものが示されていると思う。

 宮本が偉大な民俗学者であったことは疑いを容れないが、むしろその本来の素質は、作家的あるいは詩人的とも言えるところにあったのではないか。

 採集ノートを焼失したという学問としてはマイナスの物理的条件が、宮本においてはこの場合、逆に完璧な詩的文学作品の完成をもたらした。

 原作の『土佐乞食のいろざんげ』は、書かざるをえない素質を持った人間が、本当に書きたい対象を書きたいように書いた作品であると私は思う。

 

井出幸男| 宮本常一と土佐源氏の真実 |梟社|2016330|ISBN9784787763310 |◎=おすすめ

 著者が国文学者となる前、信濃毎日新聞の記者時代、青木信光編、大正・昭和地下発禁文庫『好いおんな』シリーズ⑥において「土佐乞食のいろざんげ」という作品に出合う。

 作者不明とされたこの作品が、民俗学者宮本常一の名著『忘れられた日本人』に収められた「土佐源氏」の原形をなす作品であることに十数年後に気づく。さらに十数年をかけて「宮本常一の秘められた心の闇と真実」を追ったのが本書である。

「土佐源氏」は土佐の山奥梼原(ゆすはら)に住む盲目の老人の女性遍歴を一人語りで記述したもの。この「土佐源氏」は著者によれば以下の経過をたどる。

1 昭和30年頃までに土佐乞食のいろざんげを書く。テーマはいろざんげ

2 昭和348土佐源氏を『民話』第11号に発表。原作のうち性愛の描写にかかわる叙述は大幅に削除。「民俗資料」的色彩が強まる。ただし題名が「土佐源氏」とされたように、物語的側面は継承。

3 昭和3411月、「土佐梼原の乞食」と改題して『日本残酷物語1』に収める。初めて「梼原」

という地名を明示し、実録的色合いを強調。

4 昭和357月、題名を「土佐源氏」に戻し、『忘れられた日本人』に収める。実録あるいは「民俗資料」としての色合いを継承・強調。全体としてこの「土佐源氏」により宮本の最高傑作””最良の文献民俗資料との評価を獲得。

 さて、「土佐源氏」は、生活誌、民俗資料、エッセイ、ノンフィクション、創作、ポルノ小説など、さまざまな見方がされているが、著者はこう書く。

 ――成立の経緯からも明らかなように、「土佐源氏」は原作も改作も含めて、何よりもまず宮本自身の肉体と観念を通じて生み出されてきた「文学作品」であることを認識すべきであろう。「民俗資料」としての意味を考えるのは、そのことを確認し十分承知したうえでのことである。(本書)

  当方、以前読んだ佐野真一『旅する巨人―宮本常一と渋沢敬三―』(1996)のこんな一節を思いだした。 

 ――宮本は、“土佐源氏”が語る話のなかに、妻を裏切り、別の女性と旅をつづける自分の姿を重ねあわせたはずである。何の束縛もなく放蕩の限りをつくしてきた“土佐源氏”は、宮本にとって、自分の絶対に到達することのできない一種の理想的人間だった。

 いや、宮本自身が日本全国を放浪するひとりの“土佐源氏”だった。(「旅する巨人」) 

 さまざまな文献や宮本の日記など引用しながらの本書の展開はまことにスリリングである。

 しかしなんといっても巻末に全文収録(約60ページ)されている「土佐乞食のいろざんげ」を一読し、さらに『忘れられた日本人』収録の「土佐源氏」と読み比べるという楽しみが読者には残されている。

 

宮本常一★忘れられた日本人

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