水口義朗■「週刊コウロン」波乱・短命顛末記
しかしながら、『週刊文春』『週刊新潮』『週刊現代』『週刊ポスト』などが、それぞれに特色を生かして生きのびていった一方で、『週刊コウロン』は2年も持ちこたえることができなかった。
あれから半世紀以上経ついまでも、脳裏に焼き付いているのは、嶋中(鵬二)さんから幾度も聞かされた、
個人的なスキャンダルを追い回すような、あくどい暴露主義は退け、知的に洗練された面白さを追求していきたい」
という決意だ。
それから38年間薫陶を受けた。出版ジャーナリズムの師としては、これ以上の人は望めなかった。
1956年『週刊新潮』、1957年『週刊女性』、1958年『女性自身』、1959年『朝日ジャーナル』『週刊現代』『週刊文春』『週刊平凡』と、続々と週刊誌が創刊された。
そして1959年10月、『週刊コウロン』(正式には「週刊公論」)創刊号が発売された。表紙は棟方志功の版画。64ぺージ。朝日新聞に全面広告。「20円のデラックス週刊誌!」とある。他誌より10円安い。60万部発行。著者は1500人応募の新週刊誌要員採用の入社試験に合格し、59年、中央公論社に入社。
エッセイ(当時は「随筆」)は「鍵」でベストセラーの谷崎潤一郎、「楢山節考」でベストセラー深沢七郎。ただし著者が担当した深沢には艶話を期待したのに不発で、2回で終了。
――中央公論社に右翼が押しかけていることも、「風流夢譚」が『中央公論』編集部内で掲載をめぐって賛否があったことも、わたしたち『週刊コワロン』の下っ端記者はまったく知らなかった。
そもそも取材の忙しさにかこつけて、わたしは作品すら読んでいなかった。(本書)
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント