
私がきだみのるに出会ったのは晩年の5年間であった。
停滞と沈澱を嫌うきだみのるは流浪生活を完結させるために定住せず、
家から去り、妻から去り、文壇から去り、空漠の彼方へむかって歩みつづけていた。
そこにミミくんがいた。
自分をとりまく縁者から遁走しつづけていたきだみのるが唯一別離できなかったのかミミくんであった。
■漂流怪人・きだみのる |嵐山光三郎|小学館|2016年2月|ISBN: 9784093884631|◎=おすすめ
きだみのる(本名・山田吉彦、1895~1975)小説家、翻訳者。
――きだみのるをヒトコトでいえば、自由を追い求める漂流の小説家である。社会学者であり、海の冒険、女性との恋、古代ギリシャ哲学者の饗宴を愛し、獰猛な舌で食べまくり、ひきしまった明晰な文章。官能の閃きと、人並みはずれた腕力と意志で人間の正体をさぐった。自由の代償は死、という諦観がある。(本書)
冒頭に写真1葉が出てくる。
べレ帽をかぶった作家きだみのる75歳、平凡社「太陽」編集者の嵐山光三郎28歳、写真家の柳沢信34歳、そして自分のことを「ぼく」という美少女ミミくん7歳。
きだみのるのルポルタージュ「小さな村から」(のちの『ニッポン気違い列島』1973)を「太陽」に連載するための取材で伊那を訪れた時のもの。
45前の当時、きだはノミコウ(飲み講)と称する料理を作って村人と宴会するのが好きだった。サービス精神旺盛な嵐山は、本書で「大鍋を使っての豚アバラ肉のスペアリブ料理」「ミョウガの卵とじ」「馬肉のタータル・ステーキ」など、きだの得意料理の図解レシピを掲載している。
それはともかく本書の主役はミミ君である。定住しないきだはミミの住民票も作れない。本来なら小学6年のはずのミミは学校へ行ったことがない。が、ついにまわりの協力のもと、岩手県衣川村の児童6名の大森分校に入学する。熱血のササキ先生夫妻の家で生活する。
だが、きだはのちに嵐山に言う。「ミミくんを預けたササキ君がなにかとミミを殴るんだ。スパルタ式と称する暴力教師だったよ。それにオレのことを悪くいいふらしていて、もう、あいつには預けておけない」
さらに、のちに「小説新潮」の「第3回小説新潮新人賞発表」のページを開いて……。
――「候補作品に森笙太というのがいるだろう」〔…〕
「森笙太はササキ君の筆名だよ。小説はオレがモデルらしい。落選したから話の内容はわからないが、ササキ君は油断がならぬ男だぜ。
俺とミミくんの話をばらせば世間は飛びつくからね。そろそろ俺が死ぬと見込んでいるのだよ。きだみのるが連れ歩いていたミミくんは、じつはきだみのるの子だ、とスキャンダル秘話にする。そのわがままな娘を育てるという美談仕立てだろうよ。ササキ君はオレが死ぬのを待っているんだ。もう書きはじめているかもしれないぜ」(本書)
ササキ君のきだみのるとミミ君をモデルにした小説は、1975年文学界新人賞を受賞し、続編を加えた『子育てごっこ』は1977年直木賞を受賞する。すなわちササキ君、本名佐々木久雄は小説家三好京三である。
嵐山は、「小説はきだみのるへの悪意と怨恨にみちていた」と書いている。
『子育てごっこ』を手に取ってみると、なるほどミミ君を「可愛げといったら小魚の骨ほどもない」「野良犬のように飯を貪り食う」「娼婦じみた媚態」と悪態をつきながらも、夫婦で“子育てごっこ”をする日々が綴られている。さらに「親もどき・小説きだみのる」では、「不就学にしていたという点だけでも犯罪者といっていいのではないか」と書く。
以後のミミ君、きだみのる、三好京三の確執は本書で……(当方は知りたくなかった)。本書は畏敬する作家の名誉回復のため、敵討ちの一書か。
ところで手元にある『気違ひ部落周游紀行』(吾妻書房・1949年」)の扉の裏に
「目を押せば二つに見えるお月さま」
と俳句のような暗号のような一行が記されている。ずっと気になっていたが、本書でそのことが明かされている。
――この意味をきだドンに訊くと、かつて京都に富田渓仙画伯を訪れたときに見た半切だという。寒山か拾得のような恰好の小僧が片目を指で押して天をにらみ、空には月がふたつ描かれていた。月をひとつにするためには指をはずせばよい。見る側の欠陥や偏見のため、現実がゆがめられて見えてしまう。しかし、その欠陥は必ずしも排除すべきものとは限らない。〔…〕
きだドンが部落という集団を観察し、理解し、そのなかで生活していくためには、ときには片目を押すことが求められた。その話を、嵐山は、武蔵野市の病院にいたきだドンから教えて貰った。
「ほら、目を押して月を見てみろや」(本書)
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