
こうしてついにクレムリンで調印式が行われた。〔…〕
フルシチョフこそ不在だが、先方はブルガーニンと外相のシェピーロフ、日本側は鳩山、河野、松本の三人がひな壇に並び、次々に歴史的文書に署名した。鳩山の感慨は想像に余りある。まさに政治生命をかけてきた国交正常化が実現したのだ。
日ソ共同宣言(1956年10月19日)
①戦争状態の終結 ②外交関係の回復と大使の交換 ⑧国連憲章の尊重 ④日本の国連加盟支持 ⑤日本人の戦犯釈放と送還 ⑥日本への賠償請求の放棄 ⑦貿易、通商をめぐる条約の交渉開始 ⑥漁業条約の発効――が約束され、領土については以下のように規定された。〔…〕
ソヴィエト社会主義共和国連邦は、日本国の要望にこたえかつ日本国の利益を考慮して、歯舞諸島及び色丹島を日本に引き渡すことに同意する。
ただし、これらの諸島は、日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との間の平和条約が締結された後に現実に引き渡されるものとする。
このあとクレムリンの大広間で行われた祝賀会にも、鳩山は感激するばかりだった。〔…〕
「真白い大理石の壁の大広間に、各国の大公使をふくめて千五百人ばかりの人が集つた。そしてその真只中で楽隊が厳かに君が代を奏した」
■ドキュメント 北方領土問題の内幕――クレムリン・東京・ワシントン|若宮敬文|2016年8月|ISBN: 9784480016409|◎おすすめ
元朝日新聞主筆の若宮敬文は、2016年4月滞在先の北京のホテルで死去した。68歳。
若宮敬文といえば、朝日のコラムに「竹島と独島 これを『友情島』に…の夢想」と題し、「例えば竹島を日韓の共同管理にできればいいが、韓国が応じるとは思えない。ならば、いっそのこと島を譲ってしまったら、と夢想する」と書いた人である。なんという甘ちゃんだろう、と当方は蔑視していた。
1965年の日韓基本条約締結時に「竹島・独島問題は、解決せざるをもって、解決したとみなす。両国とも自国の領土であることを主張することを認め、同時にそれに反論することに異論はない」という当時の密約こそ、当方は継続すべきと考えている。この交渉で河野一郎が活躍した。(ロー・ダニエル『竹島密約』)
さて、本書は、1956年のフルシチョフ共産党第1書記、ブルガーニン首相、鳩山一郎首相、河野一郎農相らによる「日ソ共同宣言」、とくに北方領土返還問題のプロセスを詳細に追ったノンフィクションである。著者の父は、この交渉に同行した鳩山首相首席秘書官若宮小太郎である。父の残した日記や手帳をはじめ、さまざまな文献を駆使して書き上げた。父への思いを込めた作品であり、結果として「遺作」にふさわしい。
ことは1945年2月の米英ソによるヤルタ会談で、ソ連が参戦すれば南樺太と千島列島をソ連に与えるという秘密協定が結ばれたことに始まる。以後今に至るまで日ソ交渉の影の主役はアメリカであることがよく分かる。
つぎにアメリカべったりの吉田茂と日ソ国交回復をライフワークとする鳩山一郎とのすさまじい権力闘争が描かれる。たとえば吉田が「鳩山首相ニ与ふるの書」を新聞に書き「無経験かつ病弱の首相、何の成算ありて自ら進んで訪ソ、赤禍招致の暴を試みんとするや」と罵倒する。また、ダレス国務長官、重光葵外相の“悪役”ぶりも見もの。
鳩山一行というか日本政府は、クレムリンの座席を見て初めてブルガーニン首相よりもフルシチョフ第1書記が上位だったと気づく。なんともはや。
臨場感あふれる交渉の場の再現。本書の事実上の主役は河野一郎。
たとえばクレムリンでフルシチョフはペーパーナイフを凶器のように振り回して熱弁をふるうので、河野が「自分にくれないか」と取り上げるエピソード。また、フルシチョフが「これはミコヤン君の故郷でできたコニャックだ。飲まないと侮辱だ」と下戸の河野に強制し、「飲んだら僕のいうことを聞くか。聞くなら飲もう」と反撃する話など。
さて、ゴルバチョフ、エリツィン、プーチンと時代は変わり、2016年はこの「日ソ共同宣言」から60年、一時は柔道家として「引き分け」論を展開したプーチン。安倍に勝算ありや。
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