« 工藤美代子■後妻白書――幸せをさがす女たち | トップページ | 若宮敬文■ドキュメント 北方領土問題の内幕 »

2016.11.28

角川春樹・清水節■いつかギラギラする日――角川春樹の映画革命

20161128

 

 実際の大和の全長は263メートルだったが、そのうち190メートル分が原寸大で再現されたのだ。〔…〕

 生存者たちの大和に対する賛歌のためにも、きちんと造らないといけませんから」

 最大幅40メートル、艦橋の高さ15メートル、長さ18メートルの主砲3門、副砲門、高角砲5基、三連機銃14、鉄鋼使用6トン。原寸大の大和の建造には4カ月を要し、6億円が投じられた。

 完成した作品には、特撮であることを意識させず、いかに記録映像に近づけるがという主旨のもと、ロングショットでの航行や戦闘シーンなどに、ミニチュアやCGVFXも使用されている。

 しかし、原寸大の大和を造ったことの効果は計り知れなかった。〔…〕

何より、スタッフやキャストは甲板に立つことで映画の虚構性を超え、あの時代を、五感を通して実感することができたのだ。

――scene12 大和の奇蹟

 

■いつかギラギラする日――角川春樹の映画革命 |角川春樹・清水節|角川春樹事務所|201610|ISBN: 9784758412957|

  角川書店を創立した角川源義の3人の子ども、ややエキセントリックな春樹(1942~)、兄と対立する歴彦(1943~)、そして二人と同じく出版社(幻戯書房)を営み、歌人でノンフィクション作家である辺見じゅん(1939~2011)。辺見には『呪われたシルク・ロード』(1975)、『収容所から来た遺書』(1989)というノンフィクションの傑作がある。

  ――あるとき辺見は、春樹に向かってある兵士の話をした。

「大和の沈没後、奇蹟的に生き残った兵士が島に収容された。沈没した事実を隠すためだったのでしょう。そこで咲き誇る桜を見た瞬聞、その兵士が突如発狂したという話でした。自分は死に物狂いで戦ってきたのに、桜は平然と咲いていやがる。あまりの無情さに狂ったのでしょう。それを聞いてますタイトルを思いついた。『男たちの大和』しかないと」。

 ぜひ一冊の本にまとめるよう、姉に勧めました。本はうちで出す。取材も支援すると」(本書)

 辺見じゅん『男たちの大和』(1983)が角川から刊行されると、乗組員戦没者の遺族から多くの手紙が届く。1985年、辺見は鎮魂のために春樹と「海の墓標委員会」を結成し、1945年に沈んだ大和の探索を始め、ついに艦首の菊花紋章を発見する。そして上掲のように映画化する(2005年公開)。

  ――終戦/敗戦から60年の節目に生まれた『男たちの大和/YAMATO』は、戦争を知る世代の実体験と鎮魂の想いが結集した最後の戦争映画になった。(本書)

 以降戦争を知らない世代によって作られた戦争映画は、戦争の事実を伝えるのではなく、フィクションによって感動させるための戦争映画になった、と著者は語る。

   本書は、角川映画のメディアミックス戦略による『犬神家の一族』から『男たちの大和』までを、春樹へのインタビューと映画関係者の著書からの引用によって構成された“春樹の映画史”。角川商法は毀誉褒貶にまみれたが、日本映画に革命を起こした偉大なプロデューサーであった。

  なお、春樹の映画論としてこんなことが語られている。

 俳人でもある春樹は、自らの監督作品『汚れた英雄』(1982)に俳句理論を適用したという。第1に、俳句も映画も〈リズム〉である。リズムを決定づけるのはキャメラ・アイ。第2に、俳句はイマジネーションであり、映画は〈映像の復元力〉、つまりあるシーンを鮮烈に思い出すことができること。第3に、〈自己の投影〉、つまり自分の想いを濃厚にフイルムに反映させること。

角川春樹□夕鶴忌――一行詩集

辺見じゅん▼夕鶴の家――父と私

 

|

« 工藤美代子■後妻白書――幸せをさがす女たち | トップページ | 若宮敬文■ドキュメント 北方領土問題の内幕 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 角川春樹・清水節■いつかギラギラする日――角川春樹の映画革命:

« 工藤美代子■後妻白書――幸せをさがす女たち | トップページ | 若宮敬文■ドキュメント 北方領土問題の内幕 »