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2016.11.30

鈴木嘉一■テレビは男子一生の仕事――ドキュメンタリスト牛山純一

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 中継の数日前、改めて全中継地点を見回った。カメラの配置は見晴らしの良いビルの屋上を重視していた。

 しかし私は、ふと思ったのである。

 「視聴者はこのテレビ中継で何を見たいのだろう。それは花嫁の顔ではないか」 

「我々は美しく古式豊かなパレードの全容をとらえようとして、パレードの本当の中心である『花嫁さん』という単純な対象を見落としているのではないか」

  私は決心した。

 パレードの前日、今までビルの屋上にあった多くのカメラを道路に引きおろし、皇太子妃のクローズアップをねらうこと、そしてヘリコプター中継をやめることを決心した。

 

 ■テレビは男子一生の仕事――ドキュメンタリスト牛山純一 |鈴木嘉一|平凡社|20167|ISBN: 9784582837322|◎おすすめ

 上掲は1959410日、皇太子(現明仁天皇)ご成婚パレードの生中継の準備中のことだ。日本テレビの牛山、29歳。総指揮に当たる。

  当時、中継したのはNHKNTVKRT(現TBS)3社。ライバル社の今野勉は『テレビの青春』(2009)にその日3台のテレビ・モニターで、3局の中継を同時に見ていた同僚の村木良彦のことをこう書いている。

  ――視聴者が見たがっているのは、ふたりの顔、とりわけ、美智子妃の顔だと看破したのだ。牛山純一のこの判断は正しかった。地上に降ろされたカメラは、屋上のカメラに比べれば、やってくる馬車をとらえるのは遅かった。その空白を牛山は、待つ時間としてそのまま実況させた。そして、牛山のカメラは、美智子妃のアップをとらえた。とらえ続けた。牛山のNTVの圧勝だ、と村木は思った。(今野勉『テレビの青春』)

  『忘れられた皇軍』は、大島渚テレビドキュメンタリーの代表作。19638月牛山の制作する「ノンフィクション劇場」で放送された。大島は、白衣で街頭募金をしている傷痍軍人たちが在日韓国人と知って衝撃を受け、演出を引き受けたという。

 当方がこれを見たのは、半世紀後の20141月、「NNNドキュメント」で放送された『反骨のドキュメンタリスト大島渚「忘れられた皇軍」という衝撃』の中でである。

  従軍中に両眼を失明し、右腕も失った主人公は、日本政府から「韓国人だから韓国政府に陳情せよ」と言われ、韓国政府からは「それは日本政府が解決すべき問題」と相手にされない。「眼なし 手足なし 職なし 補償なし」などと書かれた幟や横断幕を掲げて東京の街頭で窮状を訴える。当方がもっとも衝撃を受けたのは、仲間内の口論でやり場のない怒りをぶちまける主人公が、サングラスをはずすと、眼球のない目から涙がこぼれるクローズアップのシーン。

  土本典昭は『水俣の子は生きている』(1965年)などを「ノンフィクション劇場」で作った。その後制作をめぐり牛山と軋轢があり、絶縁状態が続いた。しかしのちに土本は、「取材対象に愛情を持て」「長期取材をいとうな」「カメラもまた権力だということを忘れるな」という牛山の原則を列挙して、「作り手を特権的な地位におかないという立場を確立したと思う。学ぶことは多かった」と語る。

  1965年の『ベトナム海兵大隊戦記』放送中止事件については、本書で詳述されているので、触れない。

 1971年、NTVを離れ、制作会社の日本映像記録センターを設立し、社長の就任。前述のTBS今野勉が村木良彦、萩元晴彦らと1970年にテレビマンユニオンを設立したのに続くもの。

  1980年代、フジの「楽しくなければテレビじゃない」の時代に入り、「なるほどザ・ワールド」「世界まることHOWマッチ」など“知的エンターテインメント”が評判を呼び、やがて牛山の『知られざる世界』は1986年末に終了し、『すばらしい世界旅行』も1990年に1010回で幕を閉じる。

  19977月、著者が牛山にインタビューした3日後、牛山は入院した。「肝臓がんで、骨髄まで転移している。すでに手遅れ。年内いっぱいもつか、どうか」と診断され、牛山の家族は本人にその病状を伏せた。

  ――牛山は病室で杉山にあれこれ指示し、『推理ドキュメント アンコール遺跡盗難事件』を完成させた。入院生活は3か月近くに及び、一歩も病院から出ることはなかった。928日にNHK衛星第2テレビで放送された後、106日夜、肝不全のため死去した。67歳だった。(本書)

  ドキュメンタリスト牛山純一は、ディレクターとして、プロデューサーとして、経営者として、生涯現役だった。「テレビ放送は、男子が一生をかけて決して悔いることのない仕事だ」と断言する牛山は、「俺がこれだけやっているんだから、お前らもやれるだろう」とスタッフに怒鳴り散らし、ときに若い男性ディレクターにその企画を断られると、怒って「お前んちに火をつけてやる」と暴言を吐いた。去る者も多かったという。そういう時代だった。

  子息が牛山を継ぎNHKにいる。牛山の私生活をもっと取材してほしかった。著者は牛山の追悼記事で「現場主義を貫きとおす」「『日本テレビ史』重ねた生涯」と書いた。ヤマ場のない淡々とした記述の評伝である。

今野勉★テレビの青春

川良浩和□闘うドキュメンタリー ――テレビが再び輝くために

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