
藤井 普天間基地を見学するスポットはいくつかありますが、直下に飛行場を見下ろすことができる嘉数高台公園ははずせないでしょう。
国道58号を走っていても、中部から北部に向かうと両側に米軍基地や米軍住宅、通信基地などが次々にあらわれて、その真ん中を走ることもあるから、いやおうなく沖縄に米軍基地が集中しているのかわかります。〔…〕
仲村 嘉数高台公園の入口に「普天間飛行場ちんすこう」というお土産を売っている移動販売車もありますね(2015年6月で閉店)。名物同士をくっつけたお菓子です。実にしたたかというか、たくましいというか。こういう商売もあるんだなあ。普天間飛行場は反基地派にとつては素通りできないポイント。屋台が出てもおかしくないわけだ。〔…〕
普久原 僕が嘉数高台に上ったのは、小中学生時に授業の一環で訪れて以来です。当時は普天間基地返還の話題はなかったので、
基地の見渡せるスポットというよりは、沖縄戦で多くの死傷者を出した激戦地として教わりました。
■沖縄 オトナの社会見学R18 |仲村清司・藤井誠二・普久原朝充|亜紀書房|2016年5月|ISBN: 9784750514727 |○
仲村清司。那覇市に住む大阪市生まれのウチナーンチュ2世。藤井誠二。那覇市にセカンドハウスをもつノンフィクションライター。普久原朝充。那覇市生まれの建築士。という3人が沖縄本島を歩いて、ディープな街を案内する。
上掲の嘉数高台公園から真栄原新町が見える。もとは1950年代に米兵相手にできた特飲街で、沖縄の夜の名所としてしぶとく生き残っていたが、“浄化”市民運動で街は壊滅状態。
――真栄原新町はつい最近まで建物が残っていたので、街そのものが戦後史を語るオープンスタジオのようでした。いまやその貴重な風景も発掘されることなく壊されよぅとしている。もったいないですね。この点、沖縄は歴史の語り継ぎに失敗しているように思えます。(仲村)
真栄原交差点から大謝名方面へ行くと左手に、山口組の沖縄進出による沖縄ヤクザ抗争の主役が射殺された「ユートピア」という大きなキャバレーがあった(いまはまったく痕跡がない)。
次は、当時は12,000戸以上もあった外人集宅。
「(港川外人住宅には)沖縄そば屋、古着屋、パン屋、カフェなどが数十軒あって、歩いて、覗いて、コーヒー飲んでとかしていると日がな過ごせます。昔の間取りとか、風呂場とか洗面所とかそのままだから、当時の外人住宅の生活感がそっくり残ってます。ああいう再利用の仕方はいいと思う」(藤井)
その次は、普天満宮。
「普天満宮洞穴の中は鍾乳洞になっています。沖縄戦以前の普天満宮の本殿はその鍾乳洞の内部にあったらしい。洞穴の入口には男女の生殖器のかたちをした陰陽石を祀っていますね。まさに男女の結合のパワースポットです(笑)」(仲村)。
これが普天間編(前編)の街歩きルート。那覇編、コザ編、金武・辺野古編、首里編と続く。意識して街を歩くと地元でありながら観光気分を味わえるし、逆に他所の人間でないと発見できない魅力や価値を教えられる。
ふつうの観光ガイド本ではなく、こんな各地の歩き方本がほしいが、しかし本書にあるように行けばもうそこは街のかたちが変わってしまっているだろう。当方、それは司馬遼太郎の『街道をゆく』でなんども経験済みである。
コメント