
その暗い川から、鮭が跳ねる音だけが届く。
鮭はまだまだ上がっている。遠い海から山を目指している。
飛沫の立つ音を耳にしながら、それにしても……と重秀は思う。
自分はなにも見えていない。己の目で見ている気になっているが、実は見ているつもりで終わっているのだ。
あるいは見たいものだけを見て、見たくないものには目を向けようとしない。
そうでなければ三度も、近くに居る者が欠け落ちたりはしない。
■かけおちる|青山文平|文藝春秋|2012年6月|ISBN:9784163814308 |△
「かけおちる」は、「欠け落ちる」、「駆け落ち」である。欠け落ちた二人が逃げ続ける限り夫は追跡せざるをえない。すなわち妻仇(めがたき)討ちである。
柳原藩5万石の執政阿部重秀は、鶴瀬村の名主中山藤兵衛、裕福な農家の出で幼少時から本草学に優れた森田啓吾の協力を得て、殖産振興に努めている。当面は、鶴瀬川を改修し、鮎の産卵場を設け、鮎の流通を図ること。そして3人は、本草書、農書、蘭書を中心に柳原文庫を創設し、身分のいかんにかかわらず、そして広く国外にも開放しようと準備している。
阿部重秀59歳。家老、中老に次ぐ要職にあるが、50を過ぎるまで郡役所に籍を置く農政の実務家であり、門閥の出ではない。苦労と努力の人である重秀は、啓吾に言う。
――「なにかを成そうとする者にとって、人の一生は短すぎる。ときは大事に使わなければならん」〔…〕「独りで学問を発展させるのは難しい。良き師と良き学友は、よけいな回り道をせぬためにある。俊英たちと説を闘わせることで、無駄なく速やかに己の進むべき道が絞られるのだ」(本書)
娘理津の婿阿部長英は、中西派一刀流の指南免状をもつ番方(武官)だが、現在は義父重秀の要請で江戸詰めの慣れぬ役方(文官)で、養蚕など興産の策を担当する。「雪を冠った鋭い頂きのよう」な清冽な男である。
娘理津は言う。
――「父上のようにご自身でどうにも居場所を築いていける方から手を差し延べられても、わたくしのような者は安心してその手を握り返すことができません。〔…〕。わたくしの掌が温もりを、湿り気を感じるのは、同じように居場所を見つけられずにいる手です」
――「父上は言葉が説く世に生き、わたくしたちは言葉で説けぬ世に棲み暮らしております。わたくしたちは言葉よりも、息づかいを聴きます。わたくしたちを満たしている血の音を聴きます。もしも、その境目が見えていらしたら、旦那様を役方に、それも興産掛にされることはなかったと存じます」(本書)
阿部重秀。自分にできたことは他人もできると思う努力の人にして、限りなくやさしすぎる男。その男の悲劇にして、妻や娘や婿の“覚悟”の物語である。
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