
シンガポールのプライベートバンクの中には、相続税逃れで移住しようという資産家に警告するところも出てきた。外資系のバンカーが言う。
「相続対策のために妻と子供でシンガポールに移住したい、という金持ちが来るんです。
そういう方に私は『我慢できませんよ』と言います。『オフショアブームに乗るのはいいが、
税金ゼロのために人生後半の貴重な5年間を何もしないで毎日ぼーっとしていられるんですか』と。
国税庁が5年ルールを7年、いや10年ルールに改正してしまうリスクもある」
咲子はこう思っていた。
――富裕層の人々はカウントダウンを待っている。でも、5年経ったら晴れて日本に帰れるのだろうか。国税庁がそれを黙って認めるのか、見ものだな。
■プライベートバンカー――カネ守りと新富裕層|清武 英利 |講談社| 2016年7月|ISBN: 9784062201995|◎おすすめ
富裕層の資金を集め、運用するプライベートバンカー。「カネの傭兵」「マネーの執事」ともいわれる。
本書の主人公は、野村證券のトップセールスマンからシンガポール銀行(BOS)ジャパンデスクへ。顧客の資産残高を増やせば、預かり資産の1%近い報酬を得る。顧客が儲かれば、バンカーも潤う。
さらに主人公は、UBIキャピタルシンガポールへ転職。そこは究極の富裕層コンシェルジュ。英語を話せない日本人の富裕者一族に金融から保険、税務まですべての面倒をみるゲートキーパー(門番)。
本書はシンガポールを舞台に、辣腕バンカーと富裕層の逃税術をめぐるノンフィクション。
シンガポール政府が金融立国を宣言し、2004年には、新たな投資家勧誘プログラムが始まる。
――2千万シンガポールドル以上の資産を持つ外国人が、その資産の半分を5年以上、シンガポールで維持することを条件に永住権を取得できるようになった。相続税もキャピタルゲイン課税もないオフショアに住む権利を、カネで買える時代が到来し、日本人富裕層もなだれ込んだ。
――IT長者に代表される彼らは利に敏く、動きが早いのです。かつてのシンガポールはタックスヘイブン(租税回避地)の代名詞で、いかにも税逃れを助ける国のように言われたこともありますが、今ではオフショア(課税優遇地)と評価されています。(本書)
そこには巨大企業の元経営者など「イグジット(exit)組」、IT長者などの「ニューマネー組」が集まる。一代で財を成した不動産業者や土地持ち一族、パチンコ業者、、病院経者、飲食店チェーンやレストランのオーナー、女優、デザイナー……。
――(日本の税法の)大きな抜け穴が、通称「5年ルール」である。簡単に言えば、被相続人(親)と相続人(子)がともに5年を超えて日本の非居住者であるときは、日本国内の財産にしか課税されないのだ。〔…〕
問題は、「日本の非居住者」という定義である。日本の税法には「非居住者」の明文規定がなく、一般には「一年の半分以上を海外で暮らせば、日本に住んでいないこと(非居住)の証明になる」と解釈されている。(本書)
シンガポールは人口540万人の小さな国である。三度、行ったことがある。
最初は70年代の終わりだが、観光地といえばタイガーバームガーデンと蘭園くらいだったが、オーチャードロードは2階建てのプラナカン建築が多く残り、美しい“南国”だった。日本占領時記念碑が目立っていた。
だが行くたびに、歴史の厚みのないミュージアムに失望したり、マーライオンが大きくなっただけで、空がなくなり、息苦しい街になっていた。
いまシンガポールは、「国民総背番号制」が外国人にも適用され、言論や集会の自由が認められていないという。それは観光客にとってはどうでもいいが、とにかくいつ行っても暑い。本書によれば、「四季はないが、三つの季節はある。hot(暑い季節)、hotter(もっと暑い季節)hottest(暑すぎる季節)」。
さて、東南アジアに移住する日本人といえば、低所得者層がノンフィクションの定番であった。だが本書は、富裕層。共通するのは、時間が有り余って何もすることがないこと。カネにはまったく縁のない当方は、100億円のノルマと戦うバンカーよりも、シャングリ・ラホテル併設の家賃月200万円サービスアパートメントに一人で住み、「5年はここで頑張らないといかん。相続は大変だよ」という、おそらく老人性色素斑の顔をもつ老人の孤独を思った。
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