
昌泰はすっと話を切り替える。
「普請役の笹森信郎は、話を鵜呑みにしないで、自分の頭で考えるというもっぱらの評判だ。いちいちきっちりしていて使えるから、こっちの手間が省けて楽ができるとな」
「さよう、ですか」
「言っておくが、どいつを使うかを決めるのは、畢竟、そこだぞ。
仕事ができる、できない、ではない。こっちが、楽ができるかだ。仕事なんぞ、できて当り前だ。
最後の決め手は、使うこっちの荷が軽くなるかどうかしかない。
たとえ仕事ができたって、面倒な奴で、よけいな荷を増やしてくれたら、なんにもならん」
■励み場|青山文平|角川春樹事務所|2016年9月8日|ISBN: 9784758412926|○
上掲の昌泰とは、下勘定所勘定の青木昌泰。普請役の笹森信郎の上司。四十そこそこの働き盛り。実務の力は折り紙つきで、上からも下からも身分を越えて頼りにされる。その気になったときの押しの強さは相当なもの。
本書は、“名子”がテーマである。名子とは……。
戦国の世を経て、大名になれなかった領主たちは、大名の家臣となって城下町へ移り住み、自分の領地をあきらめるか、それとも、武家の身分よりも領地をとって、百姓になるか、を迫られる。
その領地をとって土着した昔の領主が今の名主であり、その家臣が名子。百姓はしているものの使用人ではなく、元武士であり家臣である。
だが、自分の才覚や意志で動ける小作や作男とちがい、名子は百姓の長の命により農作をするだけという最下層の存在になってしまっている。
主人公笹森信郎は、幕府代官所の書き役、平手代、元締め手代と上り詰め、土地の人間の敬意を一身に集める。が、名子の信郎にとって“そこは励み場ではない”のだ。そして勘定所普請役の御役目を得て江戸へ出る。武家となるために。
――生まれついた家筋がすべて、という幕府の職制のなかで、力さえあれば上が開けている仕事場が勘定所だ。実際、御目見以下の御家人が、以上の旗本に身上がる目があるのは、勘定所をおいてない。しかも、信郎の普請役のように、武家以外の身分が、武家となる階段も用意されている。ひいては、百姓・町人が旗本になる路が開かれているということだ。(本書)
そこで出会ったのが上掲の青木昌泰。エリートであり、出世頭。こんな発言もある。
――「それで、元締め手代まで上り詰めたのは見上げたものだ。おぬし、己の力には相当の自負があるだろう。しかしな、縁戚の力は大きいぞ。〔…〕縁戚でまとまってこそ武家なのであって、独りの武家など武家ではない。しがらみで、がんじがらめになって初めて武家なのだ」
「この励み場はな、励むだけでなんとかなるような安穏な場処ではないのだ」(本書)
昌泰は“閥”の効用を説く。いや実態を説明する。昌泰は本筋に関係ない“脇役”だが、こういう上司の元で働きたいと思ういさぎよい人物である。
本書の惹句にある「仕事とは何か」「人生とは何か」「家族とは何か」を深く問う書き下ろし時代長篇は、ここからが本番である。
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