青山文平■約定
「俺も仕方なく腹を決めた。しかしな、腹を据えれば心穏やかになるというのはあれは嘘だ。いよいよ、結び合うのも仕方ないと覚悟すると、怖くてたまらん。この俺が人の命を奪うのかと思うとな、恐ろしくて、このままどこぞに逐電したいほどだ
「旦那様!」
なおも唇を動かし続けようとする大輔に、手を止めて振り向いた佐和が声をかけた。
「これから山に入りませぬか」
「ん?」
ずっと二日後のことで頭が塞がっていたせいか、直ぐには言葉の意味が掴めない。
「春山入りにございます」〔…〕
北国の冬は長く、高い堰となって春を止める。
代わりに、堰が切られれば一気に色が爆発する。
人々は、その曝風に身を晒して、とりどりの色を浴びるために山へ入る。
山道を行くたびに、やはり春山入りは北国のものだと、大輔は思う。
大輔と妻の佐和は、長男を麻疹で、次男を疱瘡で失い、二人暮し。そして上掲の場面……。
満開の辛夷に代わり、桜の花芽が蕾になって綻びかけ、やがて菜の花が、福寿草が、片栗が、さらに百合が、藤が、雪椿が、九輪草が、石楠花が、一斉に咲き誇る。「そこには確かに山の神が御座すと素直に信じられる。そして、その神に、山を下りて、田の神になっていただきたいと祈りたくなる」。すなわち、“春山入り”である。
時代小説として、堅くなく柔らかくなく、確かな筆致で、夫婦愛と友情が描かれる。郷村出役という言葉やぎんぼと身欠き鰊の煮物などが出てくるところから、この北国は米沢藩をモデルにしたものか。
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