塩田 武士★罪の声
「何も得られないと考えている私の前で、彼は全てを得たいと話しました。その欲深さに強いショックを受ける一方、変な話ですが眩しく見えたんです。地位を求めるのも、子どもを自慢のタネにしようとするのも、今いる社会を絶対の基盤だと信じているからです。
だとしたら、まだ自分にもできることがあるんじゃないかと思ったんです。
つまり、社会に希望を持てなくなっても、希望を持つ者に空疎な社会を見せることはできる、と」
先ほど心に浮かんだ「禅問答」という言葉が廻り、苛立ちを覚えた。金がほしいわけでもなく、権力や資本主義に一矢報いるためでもなく、ただ砂上の楼閣を建てるためだけに青酸菓子をばら撒いたとでも言うのか。
★罪の声|塩田武士|講談社|2016年8月|ISBNコード:9784062199834 |○
1984年~1985年に起きたグリコ・森永事件は、関西を舞台に食品会社を狙った企業脅迫事件で、犯人「かい人21面相」は逃げ切り、事件は未解決のまま。この事件を扱った小説では高村薫『レディ・ジョーカー』(1997)、ノンフィクションでは森下香枝『真犯人――グリコ・森永事件「最終報告」 』(2007)が知られている。
大日新聞文化部記者・阿久津英士は、昭和・平成の未解決事件という年末企画に駆りだされる。他方、「テーラー曽根」を営む曽根俊也はひょんなことからカセットテープで小さいころの“脅迫事件”の自分の声を聴く。こうして二人はそれぞれ30年以上も前の事件の真相に迫っていく。
しかし本書の作者は1979年生まれ。事件時は6歳である。当時の資料をあさり、関係者から聞き取りし“事実を再現”したのち、作者独自の犯人像を創造した。2016年版の「週刊文春ミステリーベスト10」で第1位など、評判がいい。
だが、当方は読んでいて作者が創造した犯人のフィクション部分よりも、事件を再現したノンフィクション部分が圧倒的にスリリングで面白かった。勝てなかった、と思う。
以下、付け足しだが、塩田武士は元神戸新聞記者。同社での経験を元にしたような“労働組合小説”『ともにがんばりましょう』(2012)は興味深かった。神戸新聞社といえば、いまはもう不動産会社、テナント業が中心で、自治体の指定管理者になるわ、社長は写真付きで紙面に出たがるわ、という状態……。
だが、「匠の時代」の内橋克人、「カニは横に歩く」の角岡伸彦、「マングローブ」の西岡研介、「誰が『橋下徹』をつくったか」の松本創、とすぐれたノンフィクション作家を輩出してきた神戸新聞である。塩田武士に続いて、若手記者諸君もどんどん飛び出して行ってほしい。
| 固定リンク
コメント