東海テレビ取材班★ヤクザと憲法――「暴排条例」は何を守るのか
一番困るのが、タイトルについて聞かれることだ。
私は、「まずは、彼らの日常から何かを感じてもらうこと。その先に憲法ということについて考える機会があればなおさらうれしい」というような曖昧な返答をする。〔…〕
つまり、憲法ありきの作品ではないということだ。
私たちは結果的に、憲法にたどり着いただけで、あらかじめ憲法問題を論じるためにヤクザの取材をスタートしてはいない。
ヤクザ組織への取材交渉はご法度。取材は警察発表に従い、だから捜査員の肩越しに撮影することになる。原稿は「ヤクザ」という単語を使用することなく、「暴力団」という表現を使う。これが、いわば暗黙の取り決めだ。この不文律は、どんどんエスカレートしていく。(本書)
その“常識”の外へ出たのが、このドキュメンタリー。序章でのヤクザを取材したいという土方に対し、認めるまでの阿武野の葛藤のプロセスがリアルである。そして制作の前提として、ヤクザの存在を肯定しない、放送前の収録テープは事前に見せない、原則としてモザイクは入れない、という条件を清勇会、テレビ局双方に課す。
暴対法は、1992年施行の「暴力団による不当な行為の防止等に関する法律」のこと。暴排条例(暴力団排除条例)は、2011年までに47都道府県で施行された条例。
これにより、指定暴力団の組員は、銀行口座の開設、公共住宅への入居、宅配便の利用、ホテルの利用、車の購入、ゴルフ場の利用などができなくなった。子どもの学費、学校給食費の引き落としができないため現金持参、また幼稚園、保育園の入園拒否など、……。
著者はいう。
――「たとえヤクザでも、それでも人間なのだ」という視座を持てるか、これがその作品の根っこだ。
この種のドキュメンタリー映画は1万人の観客でヒットといわれているが、既に4万人が見たという。当方はテレビも映画も見ていないので隔靴掻痒の感はあるが、「暴排条例」は何を守るのかを考えさせられた。
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