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2017.02.11

本城雅人★ミッドナイト・ジャーナル

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「どうして関さんは『ジャーナル』と言うんですかということです取材精神のことを言うなら、ジャーナルではなくジャーナリズムですし、きちんと取材する人間を指しているのならジャーナリストでいいじゃないですか。ジャーナルだと〈日刊紙〉という意味になってしまいますよ」〔…〕

 「それはやっぱり、俺たちは新聞記者だからだよ。

ジャーナリストのように、時間をかけて、相手の懐に深く入り込んで、すべてを聞き出すことも大事だけど、

俺たちには締め切りがあって、毎日の紙面も作らなければいけない。

  きょうはネタがありませんと言って白紙の新聞を出すわけにはいかないからな。〈時間をかけず〉かつ〈正確に〉と相反する二つの要素を求められる」

「それでジャーナルなんですか」

 はっきりと理解したわけではないが、日々の紙面作りという意味では、新聞記者は他のジャーナリストと少し違う。

 「もう一つ理由がある」豪太郎が急に目線を遠くに向けた。〔…〕

「自分のことをジャーナリストなんて呼ぶのは、なんかこつぱずかしいじゃねえか。俺にはジャーナルで十分だって言ってたよ。親父がそう言ってから、俺もジャーナルと言うことにしたんだ」

 

 ★ミッドナイト・ジャーナル|本城雅人|講談社|2016年2月|ISBN: 9784062198998|◎=おすすめ

 

 警察庁広域重要指定117号事件を彷彿させる児童誘拐事件が7年前に起こり、中央新聞記者の関口豪太郎たちは「被害者女児死亡」という誤報を打つ。痛恨の過去である。そして今また児童連続誘拐事件が発生し、さいたま支局の関口はかつての事件との関連性を疑う。

 本作品は、犯罪取材とあわせ新聞社内の組織、個人の確執を扱ったスリリングなミステリである。当方、一読して横山秀夫『クライマーズ・ハイ』(2003年)を想起した。御巣鷹山の日航機123便墜落事故を題材にした小説で、横山のベスト1作品であり、“新聞社小説”のゆるがないベスト1である。本城雅人『ミッドナイト・ジャーナル』は、これに匹敵するかもしれない。

 以下、ストーリーには触れず、新聞がらみのことを記す。

 主人公の関口は、「昔から一度裏切られると、簡単に水に流せないのが自分の欠点だ」という男である。 

 ベテランの二階堂という記者もいい。

  ――泣かせる記事が不要とは言わないが、そこに綿密なディテールが入っていないと安ドラマと変わらなくなる。逆にディテールになりうるネタを掴んだら、スクープとしてストレートに報じた方がよほどインパクトがある。(『ミッドナイト・ジャーナル』)

  ついでに関口と後輩記者とのやり取り中でこんな一節もある。

  ――新聞という媒体そのものが、時代遅れの社会悪であるような批判を受ける。だがそこまで集中砲火を浴びるということは、新聞はまだ、世論を動かすだけの責任を背負っているという意味でもある。(『ミッドナイト・ジャーナル』)

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  本城雅人は20年の新聞記者経験があるようで……。

『トリダシ』(2015)というスポーツ新聞社を扱った連作短編も満足した。こちらは「とりあえず、ニュースをだせ」と部下にニュースを獲ってくることを要求し「トリダシ」と陰で呼ばれる鳥飼義伸というデスク。

 「男が男に嫉妬するのは、金、出世、女の三つ」とか「(左遷されたとき)真っ先に味方の顔をして近寄ってきたヤツが、飛ばした張本人だ」といったフレーズで楽しましてくれる。

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『紙の城』(2016)は、『ミッドナイト・ジャーナル』に次ぐ“新聞社小説”。大いに期待した。講談社の惹句によれば……。

  ――新聞社が消滅する――。東洋新聞はIT企業から買収宣告を受けた。経営権が移れば、宅配数の少ない営業所は閉鎖、ニュースはウェブファーストに移行し、海外特派員制度もなくなる。

  ライブドアとフジテレビ・ニッポン放送との買収事件をヒントにしたような『紙の城』は、社会部デスク安芸稔彦とIT企業の権藤正隆との新聞社買収を巡る知恵比べ。未読の読者のために本筋は紹介できない。新聞経営の現状とニュースのIT化の将来を知ることができる。が、社会部の安芸は“いい人”でITの権藤も最後には“いい人”になってしまい、事件も尻すぼみで、がっかりした。

  新聞、テレビ、ネットの違い……。

 ――「新聞は昔のテレビと同じだ。〔…〕昔のテレビはチャンネルを替えるのにいちいち席を立ってテレビまで近づかなくてはならなかった。それが面倒だから興味のないニュースでもCMでもずっと見ていた。そこに新しい知識の発見があった。リモコンなんて便利なものができたせいで、テレビからはもともと興味があるものしか得られなくなった」(『紙の城』)

 

「私にとっての新聞は、読者にとって興味がなかったものも、知らず知らずのうちに目に入って、読んでもらうことができる知識を広めるための道具です。ネットはそうではありません。記事も広告も、自分が好きなものだけを機械が選び、勝手に画面に出てくるわけですから」(同)

  もう一つ、新聞をめぐるこんな一節もある。

 ――新聞には国籍がある。他国との外交の内容を掴んでも、日本人の不利になるようだと大批判を展開するが、自国に有利になる場合、それが相手国に不利になるという書き方はしない。(『紙の城』) 

 新聞は紙とかネットとかというフォーマットの問題ではない。その新聞やサイトでしか読めない記事やコラムが集まっているかどうか。……という議論も『紙の城』に出てくる。

 そういえば昔むかし、当方は田勢康弘のコラムのために日経を読み、星浩のコラムがばかばかしくて朝日ををやめたことがある。

  個性を出すために署名記事が増え、それが韓国の新聞のように、単に情報を伝達する報道ではなく、それ以上に物事を「こうあるべき」と論ずる媒体になってしまっては困る。……と、まあ、“絶滅危惧種”新聞について、いろいろ考えさせてくれた本城雅人の三作だった。

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