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2017.05.31

高島俊男★お言葉ですが… 別巻7 本はおもしろければよい

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この『図書』で自然と岩波精神、言わば「イワナミズム」を刷りこまれたと思う。〔…〕

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それまでは、幼いころから、本はおもしろい、おもしろいから大好き、であった。おもしろくない本も多々あるが、それは読まないまでのことである。それでどうということはない。

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ところが岩波は、「古典」「名著」を読め、そして「教養」を身につけよ、と教える。

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こちらは、病気になったことのない、バイ菌に接したことのない無抵抗の体のような子供(少年)だから、これに手もなくひっかかってしまったのである。

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本を読むことは、おごそかな、人の人間としての向上・成長に必須のことになった。

 

どんな本が「古典」「名著」であるかば岩波がきめる。

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――「本はおもしろければよい」

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★お言葉ですが… 別巻7 本はおもしろければよい|高島俊男|連合出版|20173|ISBN:  9784897722986 |

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『お言葉ですが…』はもともと週刊文春に連載されていたもので、単行本は第110巻が文藝春秋から、連載が打ち切られたのち第11巻、そして別巻シリーズが連合出版から刊行され、本書別巻7が最終となる。

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 「本はおもしろければよい」という表題作は、造船の町兵庫県相生市での著者の幼少時代からの読書体験を振り返ったもの。「出版社はたくさんあるが、それらのなかでわたしにとって岩波は特別で、『一杯喰わされた』という感じを持っている」と、上掲のような岩波批判を展開する。まことに最終巻にふさわしい“最後っ屁”である。

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 当方も『図書』を購読し、毎月3冊出る岩波新書を読めば時代がつかめると信じた頃があった。そして著者の結論は、「当人にとっておもしろい本を読んでいればいい」。

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 このシリーズで本の読み方、楽しみ方を教示された。たとえば本書の「播州言葉」は『関西方言の社会言語学』の中の鎌田良二「近畿・中国両方言の表現形式の地理的分布」が興味深かったとして、学術的書評ではなく、自らの播州弁体験を述べたエッセイである。

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 東京の大学に入ったとき仲良くなった友人から、日本語には「は」「へ」「を」等々の助詞があるが、著者はしゃべる時にそれを全部とばすから、聞いていてイライラする、といわれる。「おれは、きのうは学校へ行かなかった」を「わいきのう学校行かなんだ」という。助詞をとばすのは播州特有かも知れない、と著者は書く。播州弁俳句をつくったことある当方としても“大発見”であった。「わいら、助詞ぬかしてしゃべっと―、知っと―?」「知らんだっせ」

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 「お言葉ですが…」シリーズで、当方が最も驚いたのは、別巻5の「森鴎外のドイツの恋人」であった。著者はかつて今野勉『鴎外の恋人――120年後の真実』を「へたな推理小説よりおもしろい」という言いかたがあるが、これはじょうずな推理小説よりおもしろいと評した。

ところが六草いちか『鴎外の恋――舞姫エリスの真実』が出て、“ドンデン返しを食ってひっくりかえる”のである。

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当方もひっくりかえった。じつは当方も今野勉『鴎外の恋人――120年後の真実』について、“2011年傑作ノンフィクション・ベスト10”に選んでいたのだ。「舞姫エリスの真実」が真実であって、「120年後の真実」は真実ではなかったのだ。

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なお、「お言葉ですが…」第1巻は1996年、本書別巻72017年、20年を越えて続き、今後はブログとして継続されるという。

 

高島俊男▼お言葉ですが…(別巻 5)

 

2012年ノンフィクションの話題③――鴎外の「恋人探し」ほこたて対決 

六草いちか□それからのエリス――いま明らかになる鴎外「舞姫」の面影

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